関東の古社 広瀬神社(武蔵国)

広瀬神社
(埼玉県狭山市広瀬2-23-1鎮座)

鳥居
東京都瑞穂町鎮座の阿豆佐味天神社に続いて入間川流域に鎮座する広瀬神社についてです。

境内
広瀬神社は埼玉県狭山市に鎮座するお社で、入間川の畔に鎮座しており、創立は景行天皇の御代(71年~130年)といわれる古社で、延喜式内社である。
鳥居をくぐって立派な参道を歩んでいくと、深い緑に囲まれたお社が姿を現します。

境内と大ケヤキ
境内には数多くの巨木が生い茂っているが、中でもひときわ目立つのが御神木である大ケヤキ。
圧倒的な存在感、天に貫くように幹を張っている様は、神が降臨する依り代のように神々しい。

廣瀬神社は、社伝によると、奈良県北葛城郡河合町に鎮座している廣瀬神社の神を分祀したことにより始まるとされている。

当ブログLink⇒奈良の社 『水神』 廣瀬大社

そういえば、伊豆国葛城山の麓、狩野川の畔にも広瀬神社という延喜式内社が鎮座している。
主祭神は若宇迦能売命で、合祀神八衢比古命は猿田彦命であり、八衢比売命は天宇受売命のこと、久那斗命も含めると三神とも岐神であるとされている。

拝殿
廣瀬神社略記
埼玉縣入間郡水富村大字上廣瀬鎮座
祭神
主祭神 若宇迦能売命
相殿神 八衡比古命 八衡比売命 久那斗命

創立
大和時代の景行天皇(第十二代)の御代、日本武尊命東国平定の折、当地が大和の国河合の地に酷似せりと称し、親ら幣帛を奉り、(大和の国の)廣瀬の神を斎き祀りて、武運長久国家平穏を祈誓せられしより創始せり」との社伝があり、創立は、三世紀に遡る。

流造の本殿
由緒
「狭山市の社寺誌」において、「当社は、大和朝廷により勅命により官社に列せられた数少ない神社であり、由緒正しく、当時すでに関東において格の高い名神として崇められていた・・・。狭山市の神社の中で最も古く、格式高い神社である。」と記述されている。
主たる記録は次のとおり。

幽玄な雰囲気の神池
(官社) 『文徳天皇実録』の嘉永三年(850年)六月三日の条に「武蔵の国廣瀬の神を官社に列す」との記述あり。
(延喜式内社) 延長五年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』に「武蔵国四十四座 入間郡茣蓙の内一つ 廣瀬神社」と登録されている。
(県社) 明治六年郷社、同七年県社に列せられた。

左:太鼓楼 右:二宮尊徳像(?)

(主祭神) 若宇迦能売命
(相殿神) 八衡比古命 八衡比売命 

久那斗命主祭神は、水の守り神であり、風雨の調和による穏やかな世の中、豊かな実りを守る女神である。
相殿神の三神はいずれも禍を防ぐ神である。

御本社に当たる廣瀬大社(奈良県河合町)の御記略においては、『主祭神(若宇迦能売命)は、水の守り神である。天武天皇以降歴代の天皇より、風雨の調和、年穀の豊穣等を御祈願され、国家の瑞祥、または禍害あるごとに、奉告御祈願された。』と記されてる。

神楽殿
末社
杉森稲荷社、八幡神社、霞神社
社容整備
明治四十二年、本殿及び拝殿を境内北隅から現在地に遷宮。大正九年、本殿覆殿再築
昭和七年、神楽殿改築、昭和十五年、紀元二千六百年記念事業として太鼓楼を新築
(以上、境内案内板より抜粋)

旧殿地
現在の社殿は東に向いているが、旧殿地は境内北隅にあり、入間川を見渡すことができるような位置に鎮座していた。
かつては川岸から参道が伸びていたのかな?

御神木の大ケヤキ
廣瀬神社の御神木である大ケヤキは高さ約30メートル、周囲約6メートル、樹齢7~800年と推定されている巨木。枝が折れて修繕中のようだが、切株から葉が息吹きはじめていて巨樹の力強さを感じることができる。

参道両脇に坐する二対のケヤキ
江戸時代末期の書物『新編武蔵風土記稿』の廣瀬神社の項に「社辺に竹樹生い茂り中にも古木の大槻三株あり、是を神とす、一は囲二丈、一は囲一丈五尺、一は囲二丈六尺余なり。是等を見て旧跡たることしるべし」とある。
現在はケヤキの巨木二本が相対して境内に立っている。

御社殿から参道を眺める。
本神社は、豊かな緑に囲まれた社で、とても心地良く参拝できました。

美しい古社巡りはまだまだ続きます。

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