9 October 2013

紀州熊野を巡る 鬪雞神社(闘鶏神社) 新熊野雞合大権現

Location 日本, 和歌山県田辺市湊
鬪雞神社
(和歌山県田辺市湊655鎮座)

熊野巡りを終えて空港への帰路の途中、折角だからと田辺の町を立ち寄ってみることに。
田辺は『口熊野』と呼ばれ、熊野古道中辺路、大辺路の起点。

南方熊楠の生家などは後程UPすることにして、今回は田辺に坐する鬪雞神社へ。


拝殿
社伝によると允恭天皇八年(824年)九月熊野坐神社(現:熊野本宮大社)より勧請したといわれているが、白河法皇の頃、熊野路に強盗多く行幸を悩ますため、熊野三所権現をこの地に勧請し、三山参詣に替えたという伝承もある。
さらに紀伊続風土記には「熊野別当湛快のとき、熊野三所権現を勧請し、新熊野と称す」ともある。

また、社殿背後には仮庵山という神山があり、古くから稀人神の来臨する聖なる山として崇められ、弥生時代の土器が出土した遺跡があることから古代祭祀場または、かつての風葬地だったとも考えられている。

下殿・中殿・上殿・八百万殿
新熊野雞合大権現 鬪雞神社
祭神
本殿 伊邪那美命
西殿 事解之男命、速玉之男命
上殿 天照皇大神、伊邪那岐命、宇賀御魂神
中殿 迩々杵命、火々出見命、天乃忍穂耳命、鵜草葺不合命
下殿 火産霊命、稚産霊命、弥都波能売名、埴山比売名
八百万殿 手力男命、八百万神
藤厳神社(摂社) 田辺初代藩主安藤直次公
雞姫弁財天(末社) 市杵島姫命、玉置神社(末社) 手置帆負命 など

西殿
創建
人皇十九代允恭天皇八年(419年)九月、熊野権現(現熊野本宮大社)を此の地に勧請し、田辺の宮と称した。
後白河天皇の御代(1100年頃)、熊野三所権現を此の地に勧請し、三山御参詣に替える。
近衛院久安三年巳(1147年)、別当湛快の時、新たに天照皇大神以下十一神を勧請し新熊野権現と称す。

左:玉置神社 右:弁慶社

社号
鬪雞神社の社号の由来は、源平合戦の際に源氏につくか平氏につくか思案した別当湛快が、神前で赤(平氏)と白(源氏)の鶏を合せたところ赤鶏が白鶏を見て一番も闘わず逃げたので源氏に味方したと言う故事により、新熊野雞合大権現の呼称が生まれ、明治維新の神仏分離令により鬪雞神社と改称され現在に至っている。
社格
明治六年村社 同十四年二月県社、昭和四十六年七月 別表神社(旧官国幣社)に列格。

仮庵山と南方熊楠
本殿裏の神山で、古代祭祀跡指定地。
社伝によると、うっそうとした自然林で巨大な楠が、大きく枝を広げていたというが明治の頃に枯損木と偽り切り倒されてしまい、これ以上の伐採を中止させようと、南方熊楠氏は関係者を厳しく批判し抗議している。
南方熊楠氏は、仮庵山を「クラガリ山」と呼び「当県で平地にはちょっと見られぬ密林なり」と評価し、多くの珍しい植物を採集している。

(南方熊楠の伝説)
真夏のある日。
暑かったので服を脱いで全裸になってカナヅチと網を持って森の中に入って採取していたところを、若い女の子が見てしまい、

『テング~~!!』

と叫んで逃げた・・・という嘘のようなエピソードもあります。(笑)

御神木 大楠
樹齢 伝 約千二百年
樹高 14メートル、根本周囲 12メートル、胸高周囲 8メートル
老木により、延命長寿・無病息災の信仰。又、楠の下に立ち楠の葉を歯痛の患部につけ歯病平癒を念ずれば歯痛治癒の信仰あり。
御神木の樹洞に人が住みつき、ある日火の不始末から木に火が付いたところ、中から水を噴出して火を消したという話が伝わる。

境内
ここ鬪雞神社は、「源平合戦の赤白鶏合せ」の故事からか、いわゆる『ギャンブルの神さま』としても崇敬されているという。

境内は静かもとても落ち着いた雰囲気。
とても心地良いお社でした。

御朱印
次回は田辺湾の沖合に浮かぶ『神の島』と南方熊楠についてです。

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