関東の古社 二宮赤城神社(上野国)

二宮赤城神社
(群馬県前橋市二之宮町886鎮座)

常総地域に続いて少々上野国(群馬県)周辺のお社について。
群馬県で最もシンボリックな山といえば、広い裾野を持つ雄大な独立峰である赤城山に相違ない。

その赤城の神を祀った二宮赤城神社は明神大社(論社)に比定されている古社で、創建時期は不詳。ただし、社伝では人皇十一代、垂仁天皇の御宇に創建されたと伝えられている。

参道
鳥居をくぐって参道に入る。
苔が生した石畳が何とも趣を感じます。

左:鳥居脇の燈籠 右:参道脇の道祖神

赤城山の麓に位置する本神社の周辺には荒砥川や粕川といった赤城山を水源とした河川が流れ、二子山古墳をはじめとした遺跡が数多く点在していること、豊城入彦命を祖とする上毛野氏の本拠地であったことから、『赤城山の神さま』を畏れ祀った赤城信仰の中心地だったのであろう。

参道の先には朱色の神橋が架かっている。
そして橋を渡って随神門をくぐった先には境内が。

さて、本神社が「上野国二宮」となった由縁は、由緒書きによると、当時一之宮であった赤城大明神(赤城神社)が、絹織が上手で財の君であるこの女神を他国へ渡してはならないと、女神(一之宮貫前神社)に一之宮を譲ったという話がある。
そのことから、貫前神社は帰化人の神で、本神社(赤城神社)は古来より続く民衆に崇敬されていた土着信仰の社であったとのこと。

拝殿
随神門の先には広々とした境内に立派な社殿がデンと構えている。

由緒
創立年代は不詳。社伝では人皇十一代、垂仁天皇の御宇に創建されたと伝えられていますが、この地は赤城山南面で赤城信仰の上で絶好の地点(西側には荒砥川、東側には粕川が流れていて共に赤城山を水源としている)で、大室の二子古墳をはじめとして多くの古墳が存在し、上野国の名族「上毛野氏」の本拠地と推定されていることは往古より信仰と共に栄えた証であります。

本殿
赤城神社に関する文献の初見は「続日本後記」承和六年(839)で上野国無位赤城神に従五位下が奉授された記事があり、以後「三大実録」では四回にわたり赤城神の神位昇授が記され、「上野国交替実録帳」には正一位赤城明神社とあります。
平安後期には全国に「一宮二宮」の格付けが行われはじめましたが、当社は上野国の二宮として現在に至っています。

又、次のような説話もあります。
あるとき、赤城の神が絹機を織るのに、くだが不足したおで思案の末、貫前の神は外国から来て機織りが上手であるから、持っているであろうと頼み、借りて織りあげた。そこでこのような技術をもった神が他国へ移っては困るので、赤城神社は一宮であったが、その地位を貫前神社に譲って二宮になったという話です。
つまり貫前の神は帰化人の神であったとみることができます。それにひきかえ赤城の神は上野国の土地に以前から住んでいた人々が祭っていた神です。そして、この頃は少なくとも赤城神社の方が貫前神社よりも広く一般から信仰され、崇敬が厚かったことを物語ってます。

神楽殿
御祭神 大己貴命など
相殿 大山祇命、他八神
境内末社 日枝神社、他三十四社
特殊神事 
御神事 (三月と十一月下午日)
御神幸にさいして、深夜萱矢千本を射て悪気邪神退治を行う
御神幸 (四月と十二月上辰日)
三夜沢の赤城神社へ当社の御神体が渡御される。
(以上、案内板より)

味わい深い社務所
当社は第十代崇神天皇の皇子「豊城入彦命」「大己貴尊」 を始めとし、数柱の神々を祭神とし、第十一代垂仁天皇、第十二代景行天皇の時代に創建されたと伝えられる古社である。
特に、古代豊城入彦命を始めとした毛野氏の子孫上毛野氏と深い縁のあった社とも伝えられている。
承和六年(829年)に従五位下に叙されて官社となり、「延喜式」神名帳にて上野国十二社中の名神大社となった。

 左:秋葉神社の祠 右:文化財の宝塔

長元元年(1028年)頃の上野国の国司文書の中に正一位赤城大明神、上野国神名帳には上野国二宮赤城大明神等の神位、神階が記録されている古名社であった。
永承四年( 1049年)には、日本全国の諸社の中から五十五社が選ばれ、神仏習合の勅願神社となり、当社もその一社といて、社域内に造塔の折、心礎(根巻石)内に仏舎利(釋迦尊ノ骨片、現存)が奉納されていたのである。

本殿裏手には数多くの祠が祀られていた

鎌倉時代には征夷大将軍源頼朝の崇敬を受け、建久五年(1194年)当社などの修築を、守護職安達盛長に命じ、二宮太郎浅忠、岡部九内忠成らが修築を奉行したり、百石を寄進したと云う記録も見られる。
戦国時代に小田原城主北條氏政の軍勢ニ依って、数多くの建物は打壊され、壊滅的被害を受け、宝物類も多く失い衰微した。天正十八年(1590年)北條氏滅亡後、 領主として大胡城へ入城した牧野駿河守忠成、康成父子を始めその後厩橋藩主となった酒井氏歴代、江戸時代幕府ノ天領代官 藩主松平氏歴代さらに住民に篤く尊崇されてきた。
そして赤城南麓地帯の関連神社の中心的役割を果していった。

(以上、境内案内板より意訳・抜粋)

とても物静かで美しい古社。
赤城の神さまを祀る里宮として相応しいお社でした。

次回は二宮赤城神社近隣の磐座信仰のお社です。

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