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沖縄巡礼 喜舎場公の墓とイーヌカー・イラブーガー(北中城村)

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中城城跡から約2キロ程北上したところに喜舎場という集落があり、奥の高台に進んでいくと「喜舎場公の墓(喜舎場御嶽)」があります。
喜舎場公は喜舎場村の創設者であり、13世紀頃の人物といわれているらしいです。

参道を進む。
二体の巨岩がまるで山門のように立ちはだかっている。

ここが喜舎場公の墓。
琉球石灰岩の上に石祠が築かれています。

脇にあるアーチの先には、喜舎場公子孫上代之墓が祀られている。

喜舎場公の西側の石畳。
まるでジャングルの中に来たかのよう。

降っていくと、喜舎場祖先の墓所(喜舎場の殿)が静かに祀られている。
ここにも見事な珊瑚岩が露出している。

喜舎場祖先の墓所あたりに石畳の道が二岐に分かれています。
そちらを進んでいくと・・・

二体の巨岩が行く手を遮る。
さらに、草木をかき分けて道なき道を進んでいくと・・・

岩の付け根にイーヌカー(上の井戸)と呼ばれる史跡があります。
尚、この辺りは『喜舎場御嶽』と呼ばれております。

イーヌカーは琉球石灰岩で積み上げられている井戸で、ハチウビー(旧正月)、ウマチー(旧2月15日、旧5月15日、旧6月15日)に集落で拝んでいる。

井戸の水は石灰石が溶けて白濁しておりました・・・。

喜舎場御嶽には琉球の創世神、アーマンチュー(アマミキヨ)が住まっていたという伝えや、近くに喜舎場子なる者、喜舎場公なる者が居を構えていたこと (『球陽』(1745年)外巻『遺老説伝』)、更にイーヌカーの北側 (旧シェラトンホテル一帯)には、グスク時代の甲斐川原遺跡があり、往古の世、上の井戸の一帯は由緒ある場所であったことがわかる。
(以上、北中城村ホームページより抜粋)

この岩のさらに奥にはイラブーガーと呼ばれる往古の世より使われてきた井戸があるらしいが、未整備かつハブに噛まれたら大変だ!と思い、進むのをやめました。

またまた、片手落ちの内容ですいません・・・。

まるで原生のジャングルを彷徨っているかのような気分。

以上、小さな集落の祖を祀る御嶽でした。

そうそう、今回の旅では『神社』には巡っておりません。
理由は後程。

次回は、圧巻!の大主ガジュマルです。

沖縄巡礼 天空の城 世界遺産 中城城跡

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沖縄といえばグスク(城)。
首里城をはじめとして多くのグスクがありますが、今回の旅で訪れたお城は『中城城跡』といわれるグスクです。

こちらのグスクは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されており、日本の名城100選にも選ばれているお城です。

とても美しい佇まいをした城壁です。

南の郭周辺の野面積みといわれる石積み。
中城城跡には、三種類の石積みがあります。

裏門から入場。
ちなみに、これは布積み(豆腐積み)。

ここは北の郭。
まるで万里の長城のような美しい城壁が四方取り囲んでおります。
これは、あいがた積み(亀甲乱れ積み)。

城内には拝所もあります。
ここは中森ノ御イベという拝所で、通称着替御嶽(ちーげーうたき)といわれています。

尚、一の郭の先、南の郭には、久高島遥拝所などもあったらしいです・・・(またしても失念)

中城城跡は、かつて、貿易が行われていた屋宜の港から2kmほど離れた標高160メートルの丘陵上にあり、丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余あり沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。
城は、連郭式の山城で、六つの郭で構成され、城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれています。
中城城跡城跡は、14世紀後半頃迄に先中城按司が数世代にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸によって、増築され、現在のグスクの形が完成したようです。
(以上、パンフレットより要約)

一の郭から太平洋(中城湾)を望む。(与勝方面かは定かではありません)
眺望は最高で、四方を見渡せることができる要衝だったことが理解できます。

そして、城跡の隣には「中城高原ホテル」跡が。
廃墟スポットとして有名らしいです。

一の郭では発掘調査がされていました。
石のひとつひとつに番号が振られて厳重に管理されています。

幻想的な雲と相まって、「天空の城」のように見えてしまう中城城跡。
とても美しい眺望と芸術的な姿をした城壁に思わず感動してしまいました。

次回は中城城跡の近くにある拝所です♪

沖縄巡礼 琉球稲作発祥の地 受水走水と垣花樋川

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琉球開闢の神であるアマミキヨが沖縄本島に上陸したとされるヤハラヅカサ
そして、仮住まいをした浜川御嶽という聖地から程近い場所に、『琉球稲作発祥の地』とされている『受水走水(うきんじゅはいんじゅ)』という拝所があります。

百名ビーチ沿いの道から標識を頼りに畦道を進むと、案内板と二つの巨岩、そして石碑が立っており、その脇には小さな池に清らかな泉が滾々と湧いています。

受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)
神名:ホリスマスカキ君ガ御水御イベ

ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。
『琉球国由来記』(1713年編)によれば、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田、高マシノシカマノ田に植え始めた。

又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」という所に落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツ(阿摩美津・・・アマミキヨの子孫)によって受水走水の水田(御穂田)に移植されたという。

この地は東御廻いの拝所として霊域になっていて、旧正月の初午の日には、田植えの行事「親田御願」が行われている。
(南城市教育委員会)

玉城村に伝わる伝説によると、以下の通りです。

大昔の世、中国に御米という食料があり、そこに渡った阿摩美津(アマミキヨの子孫)が琉球にその種子を持ち帰りたいとニライカナイの神(守)に願い出たが、稲の種子は国外持ち出し禁止のため許可されなかった。
その後、北山王の使者の伊波按司守が中国に渡り阿摩美津と同じように稲の種子を持ち帰りたいと願い出た。守はあまりにも熱心だったので、鶴が運ぶことを条件に許可し、守が育てていた鶴を与え「ここの稲が熟する頃、鶴を離し鶴に稲の種子をくわえて運ぶよう言いつけなさい」と言った。

琉球に帰り鶴を大事に育て稲の穂が実る頃、守に教えられたとおり稲の種子をもってくるようにと鶴を放した。鶴は稲の種子を見つけることができたが、種子をくわえて飛んでいる途中、暴風にあって新原集落の北西側「カラウカハ」という泉があるところに落ちて死んだ。

鶴のくわえた稲穂がカラウカハで芽を出したのを阿摩美津が見つけ、受水走水の御穂田に水田を造り移植した。阿摩美津は、守に稲作についての耕作方法や料理方法まで習っていたこともあって稲はぐんぐんのびて実り豊作した。はじめは一ますだったが、二ます、三ます…

沖縄巡礼 アマミキヨ上陸の浜 ヤハラヅカサと浜川御嶽

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創世神アマミキヨが上陸した浜

今回は『ヤハラヅカサ』と呼ばれる白砂の浜です。
斎場御嶽から海沿いの道を進むこと数キロにある百名海岸の一角、浜川原にヤハラヅカサという拝所があります。

神話によると、引き潮の時に露出する珊瑚の岩礁で、琉球の創世神アマミキヨがニライカナイ(海のはるか彼方にある神々の住む理想郷)から渡来して久高島に降り立ち、そして船で沖縄本島であるここヤハラヅカサに上陸した。
その後、崖を越えて浜川御嶽に住み、やがてミントングスクに移ったという。
(諸説あり)

干潮時にのみ顔を出す石碑。
運良く、石碑の全貌を拝むことができました!
(ちなみに、満潮時には海中に潜ってしまうとのことです。)

また、この海岸は後にたっぷりとご紹介する久高島の『人創り神話』にかかわっております。

「昔、久高島の対岸にある百名からシラタル(兄)、ファガナシー(妹)が船で久高島に渡り、島東海岸沿いのアグルラキに移り住み、最後は始祖タルガナー家に落ち着いた。
そして二人は鳥の交尾を見て夫婦になり、子供を産んだ。この子供達が久高島住民の始祖である」
(比嘉康雄著 日本人の魂の原郷 沖縄久高島より)

美しいヤハラヅカサの浜から鬱蒼とした森の中へ。
アマミキヨが辿った『神の道』を歩んでみようと思います。

石垣の手前にはガジュマルの木が独創的な根を張っている。
まるで精霊がひっそりと棲んでいるような佇まい。

巨岩に挟まれた石段を登っていくと、その先に浜川御嶽があります。

・・・それにしても、何て神秘的な風景なのでしょう!

ここが浜川御嶽。
浜を見下ろす高台の崖下に坐しており、祠の裏手には巨岩の下に拝所がある。

ここはヤハラヅカサの次に琉球の創世神アマミキヨが訪れ、仮住まいをされた地。
泉があり、ここの湧水で旅の疲れを癒したアマミキヨはミントングスクに向かったといわれている。

浜川御嶽(神名・ヤハラヅカサ湖パナツカサ)
昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方50メートルの海中にある、ギライカナイへの遥拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいした後、今のミントングスクに、安住の地を拓いたという。
この地は霊域として東御廻いの拝所である。
(玉城村教育委員会)

浜川御嶽から聖なる浜ヤハラヅカサを見下ろす。
周囲はとてもひっそりとした雰囲気で…

沖縄巡礼 斎場御嶽 サングーイと聖なる泉ウローカー

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前回に続き、斎場御嶽について。
寄満(ユインチ)を見学した後、いよいよ念願の三庫理(サングーイ)へ。
長年拝みたかった念願に地に、いよいよ足を踏み入れる・・・

ギョヘっ!
何という人の多さ!!

どうやら団体客御一行と同じ時間に入場してしまったようであった・・・(涙)

三庫理の手前には、二本の鍾乳石から滴り落ちる神聖な水を受ける「シキヨダユルとアマダユルの壺」がある。
壺に溜まった神聖な水は、吉凶を占う際、また、御水撫での儀式(うなびてぃ)、正月の若水取りの儀式に使用されていたという。

ここが有名な三角岩。

三角岩
自然岩や洞穴に囲まれたこの場所には、いくつもの拝所が集まっています。正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理(サングーイ)、右側がチョウノハナの拝所で、いずれも首里城内にある場所と同じ名前を持っています。また、左側から太平洋と久高島が遠望できます。
三角岩の右側には『貴婦人様御休み所』と二本の鍾乳石が見えます。
滴り落ちる水はその下に置かれた壺に受けられ、それぞれが中城御殿(国王の世子)と聞得大君御殿の吉兆を占うとともに、お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水でした。
(案内板より)

三角岩の先には後日滞在予定の久高島が一望できる。

久高島遥拝所
琉球王国の絶対的な存在である国王はまさに太陽であり、その太陽のあがる方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへの『お通し(遥拝)』所として沖縄各地で崇拝されています。
琉球王国時代の久高島遥拝所は御門口下方にありますが、いつしかこの場所が遥拝所として定着したことを受け、南条市としても保護しているものです。

三角岩の奥には三庫理(サングーイ)、右側がチョウノハナの拝所があったのだが、数多くの観光客で賑わっていて、まるで満員電車の中のような混みよう・・・。
さらに、マナーの悪い観光客が拝所の上に登って記念撮影していたりしていた。

残念な気持ちでいっぱいな巡礼でした・・・。

そして翌日、久高島へ渡航するため、安座真港へ。
フェリーの待ち時間に、食事場所を探すため、港周辺を歩いてウロウロ・・・。
すると、古ぼけた看板を発見。

雨でぬかるんだ坂道を登ってみると・・・。

草木と共生した巨岩の周りに雑然と敷かれたサンゴの石垣が。
霊的空間に思わず息をのむ。

ここがウローカー(ウロー泉)と呼ばれる斎場御嶽の霊所。
パンフレッ…