16 June 2010

長崎の旅 軍艦島へ上陸 日本最古の鉄筋コンクリートアパート

軍艦島へ

端島(通称軍艦島)は、長崎港から約24km先にある。
かつては石炭採掘で栄えていたが、1974年に閉山。それにより一時期5100名以上居住していたが、無人島となり、廃墟と化していった。

閉山以降は立ち入り禁止であったが、暫定世界遺産登録をうけて、2009年より一部開放されて、1年間で約6万人上陸した。

僕が、何故この島に行きたいと強く思っていた理由は、閉山後約10年経った後(1982年)に放映された公共広告機構のCMを見てからだった。

閉山僅か10年にも満たぬうちに廃墟に化していった「コンクリートの島」の寂しげな姿をブラウン管越しに見て、子供心ながらに衝撃を受けた。
儚さのようなものを感じたと同時に、一度は訪れてみたいという想いが芽生えていき、約20年後ずっと想っていた願いが成就することができた。

外海に位置している為、荒天で運休が多いらしいが、
乗船日は爽やかな快晴☆
絶対晴れ男だ、間違いない。


出発地である長崎港。
再開発されているが、落ち着いた雰囲気。


長崎造船所を越えると、長い吊り橋が。


長崎の離島に佇む立派な教会。
「隠れキリシタン」は、こういった小島にてひっそりとカトリックを信仰していたらしい。


ここは世界最大級の造船所で「150万tドック」と言われている。


船は一路軍艦島へ。


すると・・・

↓ズン↓

↓ズンズン↓

↓ズンズンズンっ↓

うおーっ!
「軍艦島」の姿が!!

まるで、動いているかのようです。


そして、ついに念願の端島(軍艦島)の全貌を肉眼で・・・(号泣)
長崎港から船で揺られて40分。いよいよ軍艦島に上陸です!

軍艦島上陸の際は、国土交通省の役人さんが付き添いで、3箇所の見学ポイントへ訪問することができる。
今回集まった見学者は約50人程。土日祭日だと定員180名分の前売り上陸券が即ソールドアウトするらしい。もし180名でここに来たら、きっとギュウギュウ詰めだろうな・・・。

尚、軍艦島の成り立ちと歴史はウィキペディアにお任せしたいと思います。
リンクも是非見てください。


桟橋から見た軍艦島
丘の上に建っている建築物は幹部宿舎。右端は学校。


ここはブロアー室だそうです。


幾重に並んで建っている柱は、石炭を運ぶベルトコンベヤーだったらしい
後ろの建物は中学校。


ここは選炭機跡。
第一見学場所は主に炭鉱関連施設が多かった。


ここから第二見学場所の景色。
組合事務所の跡地。今にでも朽ち果てそう・・・。


南側の施設は台風や高波の影響を受けて、閉山まもなく崩壊。
人が造りしものなんぞ、地球の力の前では無力なのだな、と痛感


この近くには過去に船着場があったらしいが、やはり高波や台風により損壊した。

以上、上陸から第二見学所までの風景です。

炭鉱跡地から、第3見学エリアから垣間見れることができる住宅棟エリアへ。

少し脱線するが、端島の石炭について。
日本で採掘されていた石炭は、いわゆる石炭紀(3億6700万年前から2億8900万年前)ではなく、古第三紀(約6,500万年前から約2,500万年前)のものである。

日本ではおもにメタセコイヤなどの針葉樹(葉の形が細長い)やカエデ、ブナ、シュロなどの被子植物が生い茂っていたので、これらの植物が石炭になったと考えられている。尚、石炭紀は巨大なシダ植物が石炭になった。

ここ端島の石炭は炭化率が高く、高度瀝青炭(強粘結炭)といわれる上質な石炭が採掘できたので、夕張(北海道)、筑豊・三池(福岡)炭鉱と共に、日本の近代産業化に大きく寄与してきた。

やがて、エネルギーが石炭から石油及び原子力に移行する中で、1970~80年代には多くの炭鉱が閉山となった。そして、「石炭採掘だけのための島~軍艦島」は、閉山後程なくして無人島となっていった。
そして、日本近代建築技術の結集ともいえる建物群のみが取り残されてしまった。

右側の黒ずんだ建物が30号棟といわれる日本最古の鉄筋コンクリートアパートである。
1916年(大正5年)に建造された。7階建てなのだが、数えてみると8階に見える。これは、基礎部分がむき出しになり始めたからである。

30号棟と31号棟の間にある坂道。31号棟の脇にはスナックがまでも営業してたらしい。
廃墟だらけの島の中で、「生活」を感じることが出来る数少ない場所である。

近代資本主義の遺構と、雄大な国見の山々のコントラストがとても印象的。

次回もまだまだ軍艦島です。

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