29 December 2010

江戸の社 荏原神社と天王洲の由来

品川二社巡りで禊払い
(1) 荏原神社
(東京都品川区北品川2-30-28鎮座)

仕事納めだった12月29日。
会社近くの神社へお参りし、数多くの禍や過ちを悔い改めて、新しいココロで2011年を迎えたいと思い、近くの神社へ参拝することにした。

まずは、職場のある天王洲アイル。
夜になると、残業によるライトアップがキレイです☆

凡そ一三〇〇年の昔より、荏原神社の氏子区域である天王洲は、昭和初期までは海でした。
室町時代、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事がおこなわれるようになりました。

このことから、名もなき海域が天王洲と呼ばれるようになり、時代の移り変わりとともに様々な変遷をたどって、現在では、荏原大神様のご加護のもと、近代的なビルが立ち並ぶ東京の新名所として知られています。
(荏原神社公式HPより)

・・・(ほんの)少し感動


・・・と、くだらない話はこの位にして、いざ荏原神社へ。
社務所でしっかりと御朱印を頂きました☆

さて、ここ荏原神社は北品川にあり、旧称を天王社、貴布彌大明神(品川貴船社)等と呼ばれていた。
尚、品川には天王社が二つあり、品川神社は「北の天王」、荏原神社は「南の天王」と呼ばれる。
旧社格は郷社で、東京十二社(准勅祭社)として定められた経緯もあり、都内では由緒ある神社である。

主祭神は 高龗神(タカオカミ)、豊受姫之神(トヨウケヒメ)、天照皇大神(アマテラス)、須佐男之尊(スサノオ)、手力雄之尊(アメノタヂカラオ)の5神。

龍神で『水の神』である高龗神(タカオカミ)は、日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神(イザナギ)が迦具土神(カクヅチ)を斬り殺した際に生まれたとしている。

『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)であるとしている。
ちなみに、社殿にも屋根から龍がヒョッコリ、そして妙にリアルに顔を出していた(笑・・・上の写真参照)。

拝殿(弘化元年建立)
由緒
荏原神社は元明天皇の御代、和銅2年(709年)9月9日に、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高龗(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1247年)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古くから品川の龍神さまとして親しまれた古式ゆかしい神社。

本殿
往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していたが、明治8年、荏原神社と改称。旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の中で最も由緒のある神社であったことから、荏原郡の名を冠した社号になった。
康平5年(1062年)、源頼義・義家は前九年・後三年の役での奥州安倍氏征伐に際し、当社と大國魂神社に参蘢し、品川の海中で身を浄める。
以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、品川の総鎮守として崇敬されている。
(以上、荏原神社御由緒書より)

上述した大國魂神社の例祭(くらやみ祭)については、大國魂神社の御由緒にて、次のように記されている。

『例祭諸神事・品川海上禊祓式 四月三十日
早朝、品川区北品川、荏原神社に到り、舟に乗って海上に出て、潮水を汲み上げ身を清め、潮水を汲み取り社に参向し、大祭の無事を祈願し、その潮水を携えて帰社する。
この日より、宮司以下毎朝潮水に浴して身を清め鑚火(キリビ)を起こして潔斎に籠る』

・・・なかなか、古式ある神社なのですね☆

神社脇に鎮座されている末社。
画像を拡大すれば、どの神様を祀っているのか分かります。

そしてここ、荏原神社の例大祭は『天王祭』と呼ばれている。
(9月9日に開催)

「天王祭は宝治元年六月、京都八坂神社より牛頭天王が当社に勧請されたことに始まります。江戸時代には大江戸夏祭りの花形として盛大を極めました。
現在においても都内で唯一、御神面を神輿につけての海中渡御が行われており、荏原天王祭~かっぱ祭りとして、全国に知られています。

荏原天王祭は、御神面の須佐男之神が水神様でもあり、「かっぱ」が水神様の使いであることから、祭礼に参加する崇敬者たちを「かっぱ」になぞらえ、俗称として「かっぱ祭り」と呼ばれるようになりました。」

・・・とのこと。

神社の前に流れる旧目黒川。

かつて、この地区に流れる川や海には『荒ぶる神』が住民地域一体に猛威を奮っていたからか、北品川地区には『龍神信仰』が残っているようです。

・・・次回は、品川神社です。