15 January 2011

信濃探訪 : 尖石縄文考古館 「縄文のビーナス」と 「ドム型土偶」


尖石縄文考古館


尖石縄文考古館へ。
割引クーポン券を持ってきたはずだったが、どうやらホテルに置き忘れてしまったようでした。
通常料金を支払って入場すると・・・


土器~っ!


土器~っ!!

・・・と、土器・土偶のオンパレードでした!

上の土器は、尖石遺跡で発掘された縄文時代中期前半(約5000年前・・・BC3000年)の筒形土器。
両脇につけられた取っ手に開けられた2つの小さな穴。
細い紐が括り付けていたのであれば、5000年前の水筒、もしくはマイカップであるのか?
さらに土器に写された文様が、「力強さ=狩猟に対する身の守護」のように感じられるます。

これも尖石遺跡から出土された約5000年前の小さな土偶。
いったい、どのような意図をもって作られたのかな?

ボクの妄想だと・・・
母子ともに安全な出産になったのは、産婦人科が開設されて医学が発達したのは近年の事。
昔、ましてや5000年前の出産なんて、母子ともに生命をかけての一大事だったに違いない。
よって、『出産によって命を絶たれた女性を埋葬する際に、ともに埋葬されたもの、もしくはただの子供の玩具だったろう』と推測。

上の写真は、同じく尖石遺跡で発掘された縄文時代中期後半(BC2500年)の土偶の一部。
女性関連の土偶が多いですね・・・。
やはり上の写真群と比較すると、時代の進行のせいか、少し文様が洗練されはじめているように思える。


そして・・・念願の、

国宝「縄文のビーナス」とご対面!

「縄文のビーナス」は、昭和61年に茅野市米沢工業団地の造成中、棚畑遺跡にてほぼ完全な形で発掘された。今から約4000年から5000年前の縄文時代中期のもの。

縄文時代の集落は、何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に形成しているが、この土偶はその広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていた。

ハート型の顔(お面)に、切れ長の目つきに、おちょぼ口。耳にはイヤリングを付けていたと思われる小さな穴も開けられている。

お腹の形と胸の形、そしてくびれたシルエットから、妊娠した女性の特徴を忠実に表した土偶である。

そして何よりも可愛らしいのがプリっとしたお尻^^
きっとビーナスさんも恥ずかしがっているに違いない。

あと、頭部には耳あて付のニット帽ようなものを被っているように見えるし、後頭部にはダンゴ状に束ねた後ろ髪を表現したかのようにも見て取れる。

尚、頭頂部には渦巻き状の文様が描かれている。
きっと何らかの意味があるだろうし、縄文式土器や土偶に描かれている文様そのものが「文字・メッセージ」であるという説もある。

さて文様については、縄文時代の日本に限らず、豪州の土着民族であるアボリジニの全身に描かれたボディー・ペインティング、そしてケルト文化等々・・・。

例えば、古代ケルト(アイルランド)の宗教では、霊魂は不滅で輪廻転生を繰り返し、神々はしばしば動物や植物の姿を借りている。また日本の神道と同様、樹木、森、泉などを神聖視していた。

聖パトリックがキリスト教を布教していき、カトリック教会や修道院を次々に建てていったのが5世紀の事。
ケルト人(ドレイド)はこの宗教を排除することなくケルトの神々と融合させて、聖パトリックもまた排除せずに土着的信仰とカトリックとの融合を容認していた。
(この辺がある意味日本の神仏習合と類似している)

ちなみにこの十字架はアイルランド・デヴェニッシュ島の
「太陽のない十字架」

この十字架の方が珍しいので、こっちを載せました。

そして、ケルト十字架の円環は『古代ケルト宗教』の名残で、渦巻文・組紐文の根底は輪廻思想を意味するが、輪廻思想とは生命の循環であり、それは回転する円へと連なっていく。ケルト人が持っていた霊魂観をあらわす究極のシンボルが、回転する円すなわち霊魂の輪廻を象った円環という説や古代ケルト人が信仰していた太陽崇拝とも言われている。

(ケルト/装飾的思考 鶴岡真弓著 愛蘭土紀行 司馬遼太郎著等から要約)

いずもにせよ、文様全てに意匠性ではない何らかの意味を成し、自然に対する畏敬や感謝の念、そして何らかのメッセージを文様という形で表現していると、素人ながら思う。

そして『自然、そして「自然が創りしもの」に支配されているヒト』から『ヒト、そして「ヒトが造りしモノ」が自然を支配(=破壊)する』ように錯覚し、さらに崇拝・支配対象も自然から人へと変化していき、

『農耕による定住化⇒クニ(権力者)の出現⇒争い⇒大きな国の形成』

を繰り返すようになっていった。

良いことなんだか、悪いことなんだかボクには判断できないが、洋の東西でも人間が考える根源は、きっと一緒なのでしょう。

こちらはなんともいえないシュールな顔立ちの土偶ですね。

そして、「縄文のビーナス」の脇隣りに展示されている重厚な土偶、これこそ「ドム型・・・もとい仮面の女神」と呼ばれる重要文化財である!
足の重厚感は、宇宙戦闘用に改良された足バーニアを搭載したリック・ドムのよう。

「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、茅野市湖東の中ッ原遺跡から出土した、全身がほぼ完存する大形土偶。全長は34センチ、重量は2.7キロあります。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶で、今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られた。

「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっている。
細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されている。
体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれている。足には文様はなく、よく磨かれている。

この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっている。こうした土偶は中空土偶と呼ばれている。

(以上、茅野市役所HPより抜粋)

全体から見ると重厚な感じで男性のように見えるが、実は妊婦だとされている。
腹部を拡大してみると、おへそのあたりを中心に膨らみと円型の文様が施されて、しかも局部には女性器が・・・。

縄文時代全般を通じて見られる土偶は、環太平洋地域の食物栽培民の間に広く分布する作物起源神話に結び付けられる。

土偶はばらばらに壊されて散在して出土する例が多いことから、(尚、この「仮面の女神」も右脚が故意に破壊されていた)土偶を作物起源神話に登場する女神、大地を司る神=地母神を表現した姿と捉え、生命の再生と収穫物の豊穣を祈願する祭祀儀礼に用いたと考えられる。
(埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 「祈りとまじないの考古学」より抜粋)

ちなみに埼玉県でも土偶が発見されており、「みみずく型土偶」という奇妙な姿をした土偶が鴻巣市赤城遺跡より出土されている。

尚、当方所有のさきたま史跡の博物館発行の書籍には、コジコジのヤカンくんのような人面付注口土器やら、ひげ面オヤジの土偶形土器など、さくらももこでさえお手上げな程の世界観を持っていたようです。

ここ長野では、『黒曜石』と言われるガラスに似た特性を持つ火山石が採取できる地でもあり、旧石器時代~縄文時代にかけて、狩猟用の矢じりやナイフなどとして使用されていた。

日本では栃木県高原山や神津島や新島にて黒曜石を採掘して、交易品として関東地方、静岡、そして長野方面まで流通されてて重用された、古代文明を語る上で非常に重要な石である。

 その他長野で出土された数多くの縄文式土器をご覧ください。

火焔式土器の激しさ、うねった文様の美しさ。
そして、丹念に磨かれて精巧に作られた土偶。

現在の諏訪地方は、セイコーやエプソンに代表される精密機器の製造業が中心であるが、こういった伝統は、縄文時代からの『ものづくり』DNAによって、現在にまで受け継がれているのかな、と思いつつも、ここ10年間の海外展開によって、廃工場が目立ち始めたのは実に悲しい。
(実は小生も久々に訪れて、諏訪における製造業衰退の現実を目の当たりにして、かなり衝撃を受けたと同時に寂しさのようなものを強く感じた)

どうか、『ものづくり』DNAを未来へ受け継いでもらいたいと、切に願う。

さてさて、このような偶像は日本に限ったものではない。

ここ尖石縄文考古館には各国の古代像も展示してある。

ブリテン島が氷河に覆われ、ヨーロッパ大陸と陸地続きになっていた寒冷期の27,000~25,000年前。
旧石器時代のヨーロッパ全土でも広く作られていた。

但し土製でなくマンモスの牙を削って作製されている。

上の写真は「レスビューグ・ビーナス像」で後期旧石器時代オーリニャック文化期の代表的作品で、約25,000年前のもので、フランス・リドー洞穴で出土されたもの。
豊満な女性の肉体は、「仮面の女神」同様に、子孫繁栄・猟獣繁栄を祈願したとされている。

こちらも、フランスで出土された約23,000年前(後期旧石器時代マドレーヌ文化)の像で、マンモスの牙を用いている「ブラッサンプイ・ビーナス像」で、「フードをかぶった貴婦人」とも言われている。

この時代の文化の担い手はクロマニヨン人と呼ばれる狩猟民族で、スペイン北部からフランス全土に分布し、スペインのアルタミラ洞穴等の著名な洞窟壁画が描かれたのと同時代の作品である。

そして最後は・・・
有名なハート型土偶で、群馬県郷原遺跡で出土された約4000年前のもの。

4000年前から「ハート」の形をした仮面、そしてシェイプが存在していたとは・・・。この創造力はどこから由来していたのだろう? そして、いったいどのような意味が込められていたのだろう??

こちらは縄文時代の衣服を再現したものらしいです。

そして、再び尖石遺跡へ。

太古のロマン、そして4000~5000年前のヒト達に対する尊敬の念。
そんな気分にさせてくれた地でした。