26 January 2011

武蔵の社 「武蔵國一宮」氷川神社とアラハバキの謎

武蔵國一之宮 氷川神社
(埼玉県さいたま市大宮区高鼻御鎮座)



武蔵國一宮とされている氷川神社についてです。

この鳥居は二の鳥居で、すぐ近所に大宮図書館があります。
元々は明治神宮の鳥居だったが、落雷によって破損してしまい、ここ氷川神社に移設されてきたとのこと。

二の鳥居
旧中山道から続く氷川神社の参道は長く、南北に約2キロほど伸びています。

氷川参道といえば毎年12月10日に開催される十日市(とおかまち)こと大湯祭。
露店が夜通しに開いて福熊手が売られています。
ちなみに浦和区鎮座の調神社では12月12日に十二日市、川口市鎮座の川口神社では12月15日におかめ市・・・と、酉の市が開催されていきます。

神池
ここは神池。
かつて氷川神社の西は大きな沼になっていて、神池はその名残らしいです。

楼門
そして、本殿へ向かうべく楼門へ。

さて、氷川神社社名の「氷川」の由来は出雲の「肥河」(現在の斐伊川)から。
武蔵国一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされています。

また、今日において、一般に武蔵国の一宮は当社とされているが、大國魂神社(六所宮)の祭神や南北朝時代での記述では、多摩市の小野神社を一宮、あきる野市の二宮神社(旧称小河大明神)を二宮、氷川神社を三宮、そして二宮とされている埼玉・金鑚神社は五宮としていた時がありました。(因みに武蔵國総社宮である「大國魂神社」の御由緒にも、上記のように記載されています)

とはいうものの、小野神社はもはや一之宮の機能を果たしているとは思えず、やはりここ氷川神社が武蔵國一之宮、素晴らしい社域をもつ金鑚神社が武蔵國二之宮に相応しいお社と確信しております。

境内
そして、楼門をくぐって境内へ。
七五三の御参詣や、御祈祷、そして結婚式等々・・・日曜日なだけあって多くの参拝客で賑わっていました。

大宮氷川神社では、関東では数少ない勅祭社のひとつ。
明治維新により東京に移られた明治天皇は、明治元年(1868年)10月17日、氷川神社の例大祭を新たに勅祭に定められました。
ちなみに、関東地区の勅祭社は、香取神宮・鹿島神宮・明治神宮・靖国神社とここ氷川神社のみです。

社殿
東京・埼玉を中心に200社ほどある氷川神社の総本社、そして武蔵國一宮の社殿としては、少々小じんまりとしていますが、仰々しい雰囲気はなく、居心地の良い空間です。

社殿は治承四年(1180年)に源頼朝が社殿の再建を命じて、文禄五年(1597年)八月には徳川氏が、伊奈備前守忠次に命じて社頭残らず造営させ、次いで寛文七年(1667年)三月 には社頭の整備、社殿の建立をしました。
その後、明治時代に本殿、拝殿、中門、祝詞舎、透塀などを改造し、さらに昭和十五年六月に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の流造りの景観となっています。

舞殿
氷川神社 
鎮座地:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
御祭神:須佐之男命、稲田姫命、大己貴命
氷川神社は、社記によると孝昭天皇の御代三年(紀元前473年)四月未の日の創建現在の主祭神は須佐之男命 (すさのおのみこと)稲田姫命 (いなだひめのみこと)大己貴命 (おおなむちのみこと)の三柱の神。
第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御東拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が朝命により武蔵国造となって、氷川神社を専ら奉崇した。

聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相次いで尊仰し祭祀は厳重に行われていた。
明治の御代には当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と定められ、その後官幣大社に列した。
天皇・皇后両陛下もご参拝に訪れ、現在に至る。
(以上、氷川神社略記より由緒を抜粋)

門客人神社とアラハバキの謎

さて、氷川神社境内の右側の鬱蒼とした茂みの中に二つ並んだ社殿があります。
左から『門客人神社』、そして『御嶽神社』です。

左の『門客人神社』。
現在は、氷川神社の御祭神であるスサノオの妻であるクダナダヒメの両親である足摩乳命(アシナヅチ)と手摩乳命(テヅナヅチ)を祀っていますが、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていた神社だったとのことです。

「新編武蔵風土記稿」によると、この神社の元々の祭神は豊石窓、櫛石窓であったらしい。
「客人神」というと、あとからやってきた神を祀るイメージがあるが、実際は以前からの土着神である地主神を客神として祀っている。
柳田国男著の「石神問答」中で、豊石窓、櫛石窓の二神が石神であるとされ、石神はシャクジのことで、シャクジはサエ(賽)の神の意である、と述べている。

「門客人社」は、「門神」と「客人神」を合体したものであり、客人社は元々土地の地主神であったものが、後来の神にその地位を奪われ(氷川神社の場合は出雲族)主客を転倒させられた、と同時に門神はサエの神で、外来の邪霊を撃退する為に置かれた神である、と理解される。
(「日本の神々」 谷川健一著より抜粋)

その後来の神とは、つまり蝦夷。
蝦夷民族の進入を阻止する為に、蝦夷の神を祀ったのではないかと云われています。

現在の地名においても、大宮には櫛引という地名や、「石神」の意に近似した道祖土という地名、都下にも石神井というアラハバキ名残の地名が数多く残っています。

かと思えば、「東日流外三郡詩」なる書物には、アラハバキ神は、日本のほぼ全土に影響力を及ぼしていた土着神であった可能性があり、朝廷によって夷(ひがみ)神として貶められたと記されているらしい。

古の歴史を推測して、神社やその土地を知るというのもなかなか楽しいものですね。

その他氷川神社境内の摂社、末社について。

ここは松尾神社。
大山咋命(おおやまくひ)が祀られています。

そして、宗像神社。
御祭神の宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称です。


次回は、氷川神社の御祭神スサノオの子孫であり、出雲大社の主祭神である大己貴命が祀られている中山神社です☆

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