7 June 2011

相模路をゆく 大山詣 大山阿夫利神社上社と大山登拝記

大山登山記
下社を参拝後、上社が鎮座する大山へ登拝しました。

大山登山口

霊峰大山を登拝する際、備えられている大麻(おおぬさ・・・棒に紙垂がついているもの)
を使って、自ら道中安全の祈祷をおこなう。
御守りも頂くことができます。

片開きの登拝門

大山は、古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めているお山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、この登拝門は夏の山開き大祭(7月27日~8月17日)期間以外は固く閉ざされ、山頂への登拝は禁止されていました。

登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、毎年7月27日の夏山開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、現在もその精神は連綿として継承されています。
その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大楽(当時は4月5日~15日) が新たに設けられ、この期間も山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。

扁額

更に、みのげ・日向・ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定をされ登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。

然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。
よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。
(掲示板より)

登山口から見下ろす。
霊域に入場した凛とした気持ちになる。

そして林の向こうには下社の社殿がうっすら見えている。

これより吾、修験に入らん!

・・・石段の整備された登山道から少し奥に入ると、巨岩がゴロゴロした山道へ変貌した。

阿夫利大神
(白山神社)

大山修験(山伏)は、山中で行う修行の中で、白山神社を拝するのが、その一過程であった。

当社は加賀の国、白山神社と関係深く、大山寺開山(752年)前に建立されたといわれる。
(説明板より)

山道には色々なものが転がっている。
この木なんてまるでオブジェのよう。

そんな山道をひたすら登る。

この岩は「天狗の鼻突き岩」と呼ばれている巨岩。
石段左側の岩にある穴のことで、天狗が鼻を突いてあけた穴だといわれています。

道中二十二丁目にある富士見坂にて。
ここは来迎谷とも言われているらしい。

雲が気持ちよくフワフワと浮かんでいました☆
ちなみに富士山の方角は雲がかっていました・・・。

富士見台近辺にあったお地蔵様。
優しいお顔をしております。

そして、二十五丁目附近に差し掛かった辺りには残雪が・・・

大山阿夫利神社上社


二十七丁目へ差し掛かった時、鳥居が目に飛び込んだ♪

そこから雪に気を付けて登り、二十八丁目へ到達すると・・・

鳥居と社殿が姿を現した。

ここが大山山頂、そして大山阿夫利神社が鎮座されている霊地なのである。

前社
祭神: 高龗神

大山阿夫利神社は三社あり、本社は大山祇大神を祀り、摂社奥社に大雷神が前社に高龗神が祀られている。
摂社両社は古俗に大天狗・小天狗と称せられ、本社の御霊体であり、底津磐根に鎮座して、高天原に千木高知り座しておられえる天下の神蹟といわれているのが、両部時代より大山石尊大権現と称せられた祭神である。

大山山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前一〇〇〇年頃)の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。

本社
祭神: 大山祇大神

富士山のような三角形の美しい山容から、大山は古くから庶民の山岳信仰の対象とされた。
さらに信仰登山は江戸時代~宝暦年間(1751年 - 1764年)から行われ、大山講と呼ばれた。
各地から通じる道は「大山道」と呼ばれた。

尚、「大山道」は現在の国道246号の別称「大山街道」としてのこっている。
江戸の庶民にとっては、大山詣でと江ノ島詣のセットで娯楽の一つでもあった。
先にも述べたが、古典落語の演題にも「大山詣で」がある。

奥社
祭神:大雷神

残念ながら、登頂時間が早すぎたからか、どのお社もシャッターが閉まっていた。
しかし、『大山詣』をコンプリートできた満足感でボクの心は充分に満たされていた。

ゆっくり山頂を散策してたら、丁度売店のシャッターが開いた。
一目散にビールを注文し、朝から乾杯!

眼下には江ノ島、三浦半島、浦賀水道、そして房総半島がくっきりと見えます。

最高のロケーションを眺めながら、ビールをグビグビと飲み干す。
五臓六腑に響き渡る程、美味しかった。


折角頂上に登ったので、色々写真を撮ってみました♪

穢れのない青い空。
眺めているだけで気分爽快になれる。
澄んだお天道様です☆

(登拝したのが3月なので)山頂には雪がまだ残っていた。

・・・そしてつららも張っていました。

大きな木の下のベンチに腰かけている少年
眼下に広がる関東平野を見て、彼は何を想っているのだろう・・・。

帰り路は、見晴台ルートを利用して下山しました。

一気に山を下って、見晴台へ到着。
見晴台から眺めた大山、そして既に山腹には雲がかかり始めている

さすが通称「雨降山」!

そして山道には数多くの巨石が転がっていた。
富士・箱根・丹沢山系らしく、往古からの火山噴火に起因するのであろう。

この岩肌の隣りは断崖となっております。
下山の際、御注意を。

このような山道が故に落石事故がしばしば発生するらしい。

岩の上に木が根を張って同化している。
長い年月をかけて造り出された芸術品のようですね♪

「呪いの杉」ではないと思うが、石段の上に根を張っていた。

ちなみに「呪いの杉」について・・
震災前(関東大震災時と思われる)までは、二重の瀧つぼのほとりに、樹齢専念をこす老杉がありました。
この杉は、呪いの杉とよばれ神秘的棲槍の伝説が伝えられております。
毎夜「丑の刻」に参り呪い相手を形どった人形を杉の木にうちつけて呪いをはらしたといわれておりますが、現在は参道、道下の日本の杉がその面影を伝えております。

二重社

そして二重瀧のほとりには「二重社」が鎮座されていた。
ちなみに二重瀧は登山時には、水が枯れていました。

二重社について

二重社は阿夫利神社の摂社で、高龗神が奉祀されております。
御祭神は殖産・灌漑・雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、よく知られている所であります。

特に萬物の生命の根源である「水」をつかさどり、俗に龍神にもたとえられて、廣く根強い振興と崇敬が集められています。
真摯なる祈りを捧ぐとき神威炳子(輝くの意)諸願は成就すと言われております。
(掲示板より)

大新稲荷神社

そして下社が木々の隙間から見えてきた辺りに、お稲荷さんを見つけた。
「登頂の安全を守護下さり、ありがとうございます!」
という気持ちをもって参拝し、登山終了♪

帰り路は男坂を・・・
なんて気持ちは微塵もなくケーブルカーに乗車して下山。

根之元神社

根之元神社の由来
御祭神: 磐拆神(イワサクノカミ)、根拆神(ネクサノカミ)、石筒之男神(イワツツイオノカミ)

古事記によると、伊邪那美命(イザナミノミコト)が、火迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の災難により、この世を去られたとき、伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、火迦具土神をお切りになりました。
その御佩刀(ミハカセ)の先より生まれられたのが、当神社に祭られる三神です。

悪縁・邪念を断ち切る。開運・病魔退散の御神徳あらたかと、ひろく崇敬されております。

次回は大山街道周辺の社を巡ります♪