22 March 2013

伊勢の社 サルタヒコの社 阿射加神社 (大阿坂)

阿射加神社
三重県松阪市大阿坂町670

引き続き松坂市に鎮座する阿射加神社についてです。
前回は小阿坂町でしたが、今回は大阿坂町の阿射加神社です。

左:阿射加神社社標  右:白米城址石碑

参道入り口には阿射加神社の社標と白米城址の碑が立っている。
白米城とは、日本各地にある城に纏わる伝承で、かつて阿射加神社が鎮座していた阿坂山頂に築いた阿坂城についてのお話。

室町幕府軍が阿坂城を包囲し、当時の城主北畠軍が籠城したが、兵糧攻めにあってしまい水の補給路が立たれてしまった。
城内にはほとんど水は残っていなかったが、北畠軍は敵を欺くために白米を馬の背に流して城内に水が豊富にあるように見せかけた。
これを見た幕府軍は北畠軍がいまだ豊富な水を保持するのかと大いに驚き、水断ち作戦を諦め、包囲を解除したとされるお話。

全国の城で同様の話があるようですが、ここ阿坂城のお話が原形とのことらしい。

社頭
参道を進んで、神社へ。
鬱蒼とした森が広がる社頭の雰囲気が実に素晴らしい。

禁殺生の碑
鳥居脇に立つ『禁殺生』の石碑。
享保甲辰年(1724)紀州家より禁殺生の石碑建贈されたもの。

小阿坂の阿射加神社でも同じ石碑が立っていたが、本神社では簀子に覆われて丁重に保存している。

手水

阿射加神社は、近隣(大阿坂町と小阿坂町)に二社存在している。
鎮座地も1キロも離れていない距離にあり、御神山である阿坂山(現:桝形山)を守護するかのように南北に鎮座している。
また近くには伊勢街道が走っている交通の要衝であり、向山古墳や西山1号墳、筒野1号墳、錆山古墳などの前方後方墳のほか、前方後円墳の上野1号墳、大型円墳の深長古墳などもあり、伊勢の古代史を語るうえで重要な地域となっている。

参道
阿坂という地は、古事記において、本神社の御祭神である猿田彦命の神話の舞台地。

『天孫降臨の後、サルダヒコは伊勢国に戻ったが、阿邪詞(あざか)で魚をとっていて、ひらぶ貝に手を挟まれて溺れ死んでしまった。』

と、記されている。(かなり意訳ですが・・・)

溺れている時に猿田彦神の3つの御魂である底度久御魂(そこどくみたま)・都夫多都御魂(つぶたつみたま)・阿和佐久御魂(あわさくみたま)が化生して当社祭神の3座となったともされている。

参道途中にあった二本の御神木
延喜式 阿射加神社 由緒
主祭神 猿田毘古大神
由緒
垂仁天皇十八年、皇女倭姫命が天照大神の神霊を祭る地を探し求める途中、阿佐賀の地を訪ね荒ぶる神、伊豆速布留大神を大若子命をもちて鎮めさせ、阿佐賀山の嶺枡形地に社殿を造り、種々の幣物をもたらし祭ったのがこの神社と言われる。(神道書、倭姫世紀)

境内
阿射加神社は平安朝時代から社格の上からも調停からは各の崇敬を受け、866年(貞観八年)従三位を伊勢国阿耶蚊賀神に授け奉ると昇叙の記が見られ第六十代醍醐天皇延長五年(890)延喜式内大社の核に編入され延喜式神名帳に伊勢国阿射加神社三座並名神大なり、285座の内となる猿田毘古神座阿耶詞と古事記にもみられる古社である。

神橋
伊勢国北畠満雅 慶永年中阿坂山に砦を築く時に社地を山より今の地に遷したと記される。
享保甲辰年(1724)紀州家より禁殺生の石碑建贈される。
明治六年村社に列せられ、同三九年三重県告示をもって神饌幣帛料供進指定社となる恒例祭多米志祭が一月に行われ、稲作の作柄を占う粥試が行われる。
神社の右側には龍天大明神の起源と言われる宮池をもつ幽諸ある神社である。
主祭神 
猿田毘古大神 (伊豆速布留大神、龍天大明神)
底度久御魂、 都天多都御魂、 阿和佐久御魂 一殿三座並明神大
(以上、神社案内板より抜粋)

参籠所?
長い参道を進んでいくと比較的新しめな参籠所のような建物が鎮座していた。
その先を進むと本殿が坐している。

社殿
左右の狛犬と白い岩で守護された社殿の先には、棟持柱を持つ唯一神明造の本殿が坐している。
しかし、本殿の前にブルーシートが覆いかぶさっていた。

社殿右脇にある垣内摂社。
龍天大明神の起源と言われる宮池があったかは未確認・・・。

しかし、摂社の周りには、
興味深い形をした石が注連縄と紙垂を付けて祀られていた。

まずは、蛇(龍)の頭に似た岩。

そして、鳥(またはやっぱり蛇・龍)の形をした岩。

こちらは人の顔に似た岩。
大きな鼻と彫の深い顔立ちからサルタヒコの化身なのか?

それとも、3つの岩は、猿田彦神の3つの御魂である底度久御魂・都夫多都御魂・阿和佐久御魂を表しているのかな。

木漏れ日が鳥居を照らして幻想的。

大阿坂と小阿坂の阿射加神社は、共に神秘的で心が落ち着く神的空間でした。
数多くある伊勢の社の中でも、最も素晴らしいお社の一つだったと思っております。


次回は、阿射加神社と共に伊勢国の明神大社であり、伊勢国二宮の多度大社です。