13 April 2013

皇大神宮(伊勢神宮 内宮)

皇大神宮 (伊勢神宮 内宮)
(伊勢市宇治館町1御鎮座)

宇治橋鳥居
いよいよ念願の「伊勢神宮 内宮」へ。

鳥居の先に見えるのは「神域」。
身も心も引き締まる。

宇治橋と島路山
宇治橋は、五十鈴川に架けられた橋で、神殿と同様に二十年に一度架け換えられる。
俗界と神域との架け橋。

第一鳥居
境内はとても広々としており、静か。
敷きつめられた玉砂利を踏みしめながら、ゆっくりと心を落ち着けて参道を歩む。

皇大神宮は、皇室の祖神でもある天照大御神を祀る神宮で、三種の神器のひとつである八咫鏡が御神体として奉安されている。
ちなみに三種の神器とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。

三種の神器については、 ⇒当ブログ 熱田神宮
を参照してください。

御手洗場
五十鈴川は神路山と島路山を水源とし、伊勢湾に流れる川。
別名「御裳濯川」と呼ばれ、倭姫命が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという。
ここで、参宮者は心身を清めるため、禊を行っていた。

瀧祭神
瀧祭神は五十鈴川守護の水の神。
古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神。
清流五十鈴川を守護する水の神様として弥都波能売神を祭神としている。

神楽殿
皇大神宮は垂仁天皇二十六年の創設。
本宮について、記紀では以下のような記述がある。

「天孫降臨」
この二柱の(天照大御神の八咫鏡と思金神のこと?)は、さくくしろ、五十鈴の宮(内宮)に拜き(いつき)祭る。次に登由宇氣神(とゆうけのかみ) こは外宮の度相(わたらひ)に坐す神ぞ。

日本書紀では、崇神天皇の項にて、
「天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御陵の内にお祀りしたが、神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀った。よって堅固な石の神籬を造った。」
とあり、その地は現在の大神神社摂社の檜原神社とされている。

内御厨
その後、各地を転々とし、垂仁天皇の御代に、
「天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命に託された。倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の笹幡に行った。さらに引き返して近江国に入り、美濃を巡って伊勢国に至った。
そのとき天照大神は、倭姫命に教えていわれた。
この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。
傍国の可怜し国なり。この国に居らむと欲ふ。 
『伊勢国は常世国(海の向う)からの浪が打ち寄せる、
辺境だが美しい国である。この国に居りたいと思う』
そこで、大神のことばのままに、その祠を伊勢国に立てられた。そして斎宮を五十鈴川のほとりに立てた。これを磯宮という。天照大神が初めて天より降られたところである。」

とある。
御正殿前の石段
緑深き参道を歩むと、高台の先に御正殿が鎮座なされている。
神々しい風景に身震いをしてしまう。

御正殿
「神社」というと、見事な彫刻物で飾られた立派な社殿に、眩い朱色で彩られた神門等というお社が多いのに対し、伊勢の神宮の社殿(実際は御門までしか見ることはできないが)は、掘立柱に茅葺屋根という古代から続く素朴な造り。

そこには、神仏習合など世俗的な影響に惑わされていない日本古来からの様式を感じ取ることができるし、西洋・中東にはない日本古来の「木の文化」を強く意識することができると思う。

御正殿の御幌
参拝中、御幌(みとばり・・・正殿前の白い幕)が風に揺られて、フワっと舞い上がった。
月並みな言い方だが、神さまがまるで少し顔を出したかのよう。

御贄調舎
御正殿の向かいには、御贄調舎と呼ばれる切妻式の建屋がある。
内宮の祭典のとき、神饌の代表として、アワビを調理する儀式がなされるところという。

御贄調舎にある神座
御贄調舎の中にある外宮の祭神・豊受大御神が降臨される神座。
内宮の御祭神である天照大御神を見張っているかのように・・・というのは考えすぎかな?

五十鈴川
3月上旬の参宮だったので、神路山から五十鈴川伝いに伊勢湾へ吹き降ろす風が冷く、そのせいか、凛とした気持ちで参拝することができた。

皇大神宮御正殿
御正殿で参拝を済ませた後、広い境内に点在する別宮を巡りました。

御稲御倉と外幣殿
別宮 荒祭宮へ向かう途中、参道沿いにある御稲御倉と外幣殿。
御稲御倉は、その名の通り、御饌として神前に供えられるために神田から収穫した稲穂が納められる倉のこと。
伊勢神宮には神前に供えられる麻織や御塩等を祀る神さまのお社が数多くありますが、それは後程・・・。

荒祭宮
参道を下り、再び石段を登っていくと、皇大神宮内で第一の位に列せられている荒祭宮へ。

荒祭宮の御祭神は、天照坐皇大御神荒御魂。

日本の神道の概念では、神の霊魂が持つ側面には、荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)の2つがあると言われている。

荒祭宮
荒魂(あらたま)は、神の荒々しい側面であり、天変地異を引き起こし、病を流行らせ人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きで、神の祟りは荒魂の表れである。
それに対し和魂(にぎたま)は、 雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面であり、神の加護は和魂の表れである。
(本ブログ~出雲大社「国造り神話」とダイコク様 を参照)

森に囲まれた森に名かに佇む荒祭宮。
式年遷宮で建て替えれられたお宮のお姿も、活き活きとして美しいが、年月により風合いが変り、苔が生し始めてきたたお宮のお姿もまた、自然と共生している雰囲気があり、侘びのようなものを感じる。

左:御酒殿と由貴御倉   右:四至神

荒祭宮から神楽殿に向かうと小さな二殿の建物がひっそりと坐している。

御酒殿の祭神は御酒殿の守護神。古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所であったという。
そういえば、御酒殿に関連あるお社といえば、元伊勢に鎮座する酒見神社がありますね。

由貴御倉の『由貴』とは、清浄でけがれのないという意味である。
古くは御饌祭(みけさい)のお供えものや果物などを納めておく倉であったという。

四至神
五丈殿の脇には、さりげなく四方を縄で囲まれた石垣の中に、石神が祀られている。
四至神とは、神域を守護する神のこと。古より門番として皇大神宮を守護されていたのだろうか?

風日折宮橋
神楽殿から南に行くと、新しく架け換えられた風日折宮橋が。
真新しい木の色が実に清々しい。

この橋を渡ると、別宮 風日折宮が坐している。

風日折宮
風日折宮の御祭神は伊弉諾尊の御子神で、「風神」 級長津彦命と級長戸辺命。

『古事記』の神産み(神々の生成)にて、イザナギとイザナミの間に生まれた風の神で、関西地方では、龍田大社、関東地方では川勾神社が『磯長国(現在の小田原~足柄地方)を開拓した神』として祀られている。

風日折宮
もともとは「風神社」と呼ばれていたが、「風日祈宮」となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来の文永・弘安の役の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験(神風)に応えたことから、「社」から「宮」に格上げされたという。

外宮(豊受大神宮)の『風宮』と同じなのですね。

五十鈴川と神路山
44000平方メートルにも及ぶ広大な神域には、自然の巨木が数多く自生し、「美しい日本」の原形を感じることができた。

再びこの地へ導かれる機会があることを心より願っております。

次回より伊勢地方に点在する別宮・所管社等についてです。

御朱印