5 April 2018

常陸の社 筑波山神社 関東平野を護る山岳信仰の古社

筑波山神社
(茨城県つくば市筑波1番地鎮座)

今回は筑波山の麓に坐する筑波山神社です。
筑波山は関東地方ではかなりメジャーな観光地で近隣登山のメッカですが、当方実は初めての登拝でした…。
そして、ここ筑波山神社も「常陸国風土記」に数多くの記述がある、古代より崇められていた山。
石鳥居の先にうっすらと見える山が、御神山である筑波山です。

石鳥居の先には御神橋があります。
江戸時代の1633年(寛永10年)、徳川家光の寄進で建造され、1702年(元禄15年)に徳川綱吉によって改修されたといいます。

神橋の脇を通ると、筑波山を覆い隠すほど大きく立派な隋神門が姿を現します。

神仏習合の時を感じる荘厳な造りの随神門。
現在の門は1811年(文化8年)の建立で、もともとは家光公によって御神門と同じく1633年に建てられたとのことです。
門の左右には倭健命、右側に豊木入日子命の像がありますが、廃仏毀釈前までは仁王像が祀られていました。

筑波といえば、やはり古事記でのヤマトタケル。
焼津から富士総国を経て蝦夷を平定したのち、常陸国を経由して甲斐の酒折宮に滞在したとき、ヤマトタケルは従者に、
「新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
と詠うが、従者はうまく回答できませんでした。
その場に居合わせていた火守はヤマトタケルに
「日々なべて夜には九夜 日には十日をと」
と返歌しました。(これが日本の連歌の始まりといわれています)
また、古記によるとヤマトタケルも蝦夷から南下した際に筑波の山を登ったといいます。

御祭神は関東の山岳信仰のお社三峯神社と同様に伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神。
日本武尊東征の道のりに立つお社ではイザナギ・イザナミを祀っているお社が多いですね。


筑波山神社
御祭神
筑波男ノ神 伊弉諾尊 (男体山871メートルに祀る)
筑波女ノ神 伊弉冉尊 (女体山877メートルに祀る)
境内地 筑波山南面を主に海抜270メートルの線以上三五四町歩
筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、山岳信仰の対象として仰がれており、第十代崇神天皇の御代(約2000年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕しました。

第十二代景行天皇の皇太子、日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれています。延喜の式制(927年)で男神は名神大社、女神は小社に列しました。
中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、神仏並立の時代が続きました。
江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領1500石を献じました。
幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起こした筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治六年に県社となりました。
(以上、参拝のしおりより抜粋)

御本殿

筑波山自体が御神体として仰がれているので、筑波二峰にご本殿が鎮座されています。
こちらは女体山御本殿。(877メートル)

そして、こちらが男体山御本殿(872メートル)です。
男体山は延喜式神名帳にて名神大社に、女体山は式内小社に列せられていました。

摂社

摂社として筑波山の山中に四社が祀られています。
天高原には稲村神社(天照大御神)、屏風岩には安座常神社(素戔嗚尊)が祀られています。

北斗岩の脇には小原木神社(月読尊)、裏面大黒に渡神社(蛭子命)の祠が坐しており、四社とも白雲橋コースの道中に祀られております。
男女御本殿と摂社四社を合わせて六所神社とされております。

摂社以外にも山中に数多く祠や聖天宮などが数多く坐しております。

写真は御幸ヶ原コースの途中に祀られていた祠。
陽光が差してとても神々しく見えました。

そしてこちらは、北関東最狂といわれる筑波山ガマランドに祀られている・・・
大変失礼致しました。

御朱印