12 May 2018

甲斐の社 甲斐奈神社(一宮町橋立)「甲斐國総社」

甲斐奈神社
(山梨県笛吹市一宮町橋立84鎮座)

鳥居
二之宮美和神社から一宮浅間神社に移動する途中、カーナビに「甲斐奈神社」の表示がされたので、近くのコンビニに立ち寄りがてら参拝してみました。
周りは畑が広がる長閑な風景が広がっています。

神門
しばらく進むと両部鳥居、そして参道の先神門が見えてきます。

甲斐奈神社は延喜式神名帳に「甲斐國山梨郷甲斐奈神社」と記載されているお社で、笛吹市の春日居町国府に鎮座する「守之宮明神」、甲府市の甲府市宮前町に鎮座する府中八幡神社とともに論社とされており、一般的には春日居町国府の甲斐奈神社が有力だとのことです。

神門の前にはおみくじが並んでおり、両脇には二神の像が坐しています。
本神社は「甲斐國総社」と称しております。
総社とは、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のこと。

当ブログでは…
陸奥國総社 陸奥総社宮
武蔵國総社 大國魂神社
相模國総社 六所神社
美濃國総社 美濃國総社(南宮大社境内社)
尾張國総社 尾張大国霊神社

などがあります。
リンクを貼りましたので、よろしかったら覗いてみてください。

境内
境内へ。
春の到来を祝う祭事が行われるのか、境内は準備の真っ最中でした。
御朱印は受付けるようでしたが、どうやらお忙しそうなご様子。

個人的な「神社参拝のポリシー・マナー」として、授与所や社務所に神職が常駐されていないお社や町村の小さなお社では、神職さんのお手間をかけてしまうので、御朱印を頂くためにわざわざ呼び出さないようにしています。

扁額
甲斐國 総社 甲斐奈神社  
(旧指定村社)
鎮座地 山梨県笛吹市一宮町橋立字北畑84番地
御祭神 国常立尊、高皇産霊尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊

本殿
由緒沿革
甲斐國志所出の社記によれば、当社は延喜式内社であり、甲斐國中式大小の神衹を勧請する一国の総社であった。そのため、恒例神事、大事の際には奉幣使や宣命使が派遣され、先ず当社にて祭祀が執り行われ、それから国内の諸社に対して幣帛がわかたれた。
天正十年の兵火に焼かれたが、その後再建され江戸時代から戦前まで隆盛を誇ったが千五、一時、人心が離れて著しく荒廃するも、近年氏子、崇敬者の熱意で本殿、拝殿、一の鳥居、両部鳥居、神門、神楽殿等次々に再建、改修整備され、旧に復しつつあり、甲斐國の御親神として広く崇敬を受け県内外から多くの参拝者が訪れ、社頭は賑わいを得ている。また別称が幾つかあり、神祖大明神や林部の宮とも呼ばれている。

枯死した「橋立大杉」の記念碑
本殿後ろには天然記念物の御神木の大杉があり甲州三大杉の一つに数えられ「橋立大杉」として地方に知られていたが昭和二十六年に枯死したので其の跡に記念碑が建ててある。
江戸時代まで祭礼の日に笛吹川東の神主かすべて当社に参集して神楽を奏し盛大な祭祀が斎行され五穀豊穣、国家鎮護の祈祷をした。
明治四十年村社に指定された。旧時の社領は四石三斗 社地は443坪であった。
橋立、東原、竹原田、金田の産土神である。

「総社」の名称は一宮と同様に平安時代末期になって文献上に散見できるようになる。 
これには国内総社、邸内総社、寺内総社などがあるが、国内のそれは国司(現在の県知事)が任命・退任時に国内の神社を順拝することとなっていたが、国衙(現在の役所)に近い一社に国内の神社を勧請合祀、または一社殿を構築して勧請合祀し、便宜これを拝むに至ったが、これが総社の起源とみられている。 
甲斐国史や諸文献をみると、甲斐国の総社は神祖宮、または神親社、林部の宮、橋立明神とも呼ばれている当社、又は笛吹市の春日居町国府に鎮座する甲斐奈神社「守之宮明神」とも云われさらには武田時代に甲府に国府が移されてよりの総社として、甲府市宮前町に鎮座する府中八幡神社と云われている。

神楽殿
また、同時期に編纂された延喜式神明帳にも山梨郷にその名が見えるが、当時は当社の辺りは甲斐國の政治文化の中心地であり、国分寺や甲斐一之宮、甲斐二之宮があり、さらに、山梨郷と八代郷の境界をなしており近くに林部郷や玉ノ井郷が山梨郷となっておることや、甲府が甲斐國の政治文化の中心になったのは武田時代であり、このように様々な資料、地勢など、どれをとっても当社は一国の総社であり、当然、延喜式に記載される甲斐奈神社は当社である。
(以上、参拝の栞より)

次回も引き続き甲斐の古社巡りです。