17 June 2018

武蔵の式内社 青渭神社(調布市/稲城市)沼の神を祀った社

青渭神社(調布市深大寺)
(東京都調布市深大寺元町5-17-10鎮座)

青渭神社(調布)社頭
青渭神社は『延喜式神名帳』武蔵国多磨郡八座のうち一座と記載されているお社。
しかし論社が三社あり、今回はそのうちの二社を巡ってみました。
まずは調布市深大寺に鎮座する青渭神社について。

龍の扁額
社前にある大ケヤキが有名ですが、鳥居に掲げられている龍をあしらった扁額もとても印象的です。

さて、本神社は三鷹通り沿いにあるお社で、社前はかつては「池の谷戸」と呼ばれ、神社付近から主として縄文時代中期の土器や打製石斧が大量に出土し、先住民の住居跡と考えられており、先住民が湧水を祀る祭祀場を作ったのが始まりとされています。
深大寺周辺は湧水が多く、深大寺~神代水生植物園~神代農場周辺は今でも湧水が確認されています。

御祭神は水波能賣大神・青沼押比賣命、一説に社前大池に棲む大蛇を祀ったともいわれており、いずれにせよ水の神様を祀った神社です。

境内
青渭神社御由緒 
当社の創建年月は不詳であるが、往古(三千年~四千年前以前)先住民が水を求め居住した際、生活に欠くことのできない水を尊ひ祠を建て、水神を祀ったと伝えられている。
御祭神は水波能賣大神(みずほのめのおおかみ)・青沼押比賣命(あおぬまおしひめのみこと)、一説に社前大池に棲む大蛇を祀ったともいわれる。
神社明細帳によれば、当社は第六十代醍醐天皇の延長五年(927年)に編纂された『延喜式』所載、武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の重き御社であったと伝えられる。

社殿
往古は社前に五町歩余の境内地があり、大池にこんこんと湧き水あり、青波をたたえていた所から青波天神社とも称せられた。池水は干ばつの折も枯れる事なく、田用水等に用いられたといわれる。周辺は武蔵の文化発祥の地であり、清水の湧き出る所、人々の生活と密接な関連があったと考えられる。 
青渭・青波共に水の意であり、「渭」とは広遠に波立つ様をいい水面に波打ち寄せる意で、水神様を祀った古社であることは疑う事はできない。

明治六年十二月郷社に列せられた。氏子地域は深大寺町全域と調布ヶ丘の一部にまで及ぶ。社前にケヤキ(槻・ツキ)の老樹がそびえ、市内現存最古の巨木で、昭和四十七年調布市天然記念物に指定された。
又、御社殿も甚だしく荒廃したため、御大典事業として再建に努めた結果、平成四年十月無事竣工となり同月二十五日盛大に奉祝祭を斎行した。
御社殿は権現造りで建坪三十坪、屋根は銅板葺きである。
(以上、境内案内板より)

大ケヤキ
そして、本神社で有名なのが、社頭に立つこの大ケヤキ。
『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』にもこの大ケヤキのことが紹介されております。
春ですと瑞々しい葉がついた美しいケヤキの姿を拝むことができます。

大ケヤキ
御神木・大欅(ケヤキ) 
社伝の右前方、三鷹通り沿いにある。根本から高さ八メートルのところで三本に分かれ、主幹のみ大きく高く伸び、他の第二・第三幹は枯れて、その後を残している
幹囲いは目通りで凡そ5.5メートル、高さ34メートル、樹齢数百年(推定600~700年)の老樹であるが、現在尚樹勢旺盛である。
ケヤキは古名では槻(ツキ)といい、『新編武蔵風土記稿』に「年代不詳僅ナル祠ニシテ東向ナリ 社ノ傍ニ囲一丈五尺余リノ槻ノ老樹アリ 古キ勧請ナル事疑ヲ入レズ 昔社地ニ池アリ青波ヲタテ社前に至ル様アリ青波ノ名ヲ生ズ 青渭ト青波相近シ延喜式記載ノ多摩郡八座ノ青渭神社ナリト云フ」と、
『江戸名所図会』にも「村の中天神谷戸にあり祭神不詳 青波天神とも云う 社前に槻の老樹あり 数百年霜を経たるものなり 古へ社前に湖水あり 青波の名ありと云う 式内の社名青渭と青波はよりどころあり」などと見えて、
文化文政期(1804~1830)から既に目立つ巨木であった。 
社前は「池の谷戸」と呼ばれ、昔は青波をたたえていたという。
この付近から主として縄文時代中期の土器が発見され、殊に打製石斧が大量に出土し、その製造所があったと推定されるなど、古代人の住居跡と考えられている。
(境内案内板より)

ハート型のウロ
この大ケヤキで一番印象的なのは、ハート♡型のウロ。
ウロとは古木などで見かける空洞のことを指しております。
きっと恋愛成就の御利益があるに違いありません(!?)

青渭神社(稲城市東長沼)
(東京都稲城市東長沼1053鎮座)

一の鳥居
続いては東京都稲城市に鎮座する青渭神社についてです。
本神社はJR南武線稲城長沼駅から徒歩5分程の場所に鎮座しています。

参道
住宅地と車道の間に伸びる一本の参道。
木々の存在感が、昔の面影を残しています。

二の鳥居
そして二の鳥居へ。
かつては木々や沼などに囲まれた環境だったと思いますが、今は住宅地になってしまい、とても窮屈な印象。「大沼」もきっと埋め立てられたのでしょう。
小野神社のように稲城周辺のかつての「古社」はこのようなお社が多く思えます。
きっと乱開発の影響なのでしょうね。

本神社の創建の年代は不詳ですが、伝承によると弘仁年中の創立とのこと。
祭神は青渭神・猿田彦命・天鈿女命を祀り、昔は「大沼明神」又は「青沼大明神」と称していました。

それでも狛犬は水の神・沼の神を祀っていたからなのか、頭の上にお皿のような窪みがあります。
写真右の阿形の狛犬は文政十三年(1830)のもので、可愛らしいが少し損傷が激しく、写真左の吽形の狛犬は明治十六年(1883)のものです。

コンクリート造りの社殿
由緒
當社創建の年代は詳らかでないが、弘仁年中の創立との伝承がある。
延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。
祭神は青渭神・猿田彦命・天鈿女命を祀る。
昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。
大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。
現社殿は昭和四十九年の造営であるが、本殿は往昔のままで数百年を経ている。
明治六年郷社に列せる。
青渭神社社務所
(境内案内板より)

昔はこの付近に大きな青い沼があり、その神霊を祀ったことが起源とされている。
そのため別に青沼大明神とも称される。祭神は出雲系の青渭神で農耕や出産に霊験あらたかな神である。本殿は昭和49年に改築されたものである。
毎年10月1日の祭礼には、市指定文化財の獅子舞が奉納される。この獅子舞の起源を明らかにするものはないが、大正4年より23年間中断していたのを、昭和12年に復活して現在にいたる。舞の形は、大獅子、女獅子、求獅子の三頭の獅子と天狗によるものではやし方は笛吹、貝吹き、歌方によって構成される。
(稲城市社前案内板より)

青渭神社の論社はほかに青梅市沢井に里宮が鎮座するお社があり、高水三山のひとつ惣岳山山頂に奥宮があるといいます。
機会があれば、登山ついでに参拝してみようと思います。

いなぎ発信基地ペアテラス
そして、稲城長沼駅前にはガンダム・シャアザクの像が祀られています。
大河原邦男先生は稲城市出身らしいです。

次回も引き続き武蔵のお社です♪