20 June 2018

武蔵の式内社 中氷川神社(所沢市山口)全国神社存亡の危機を救った社

中氷川神社
(埼玉県所沢市山口1850番地鎮座)

今年のゴールデンウィークは武蔵国と常陸国の式内社を中心に巡っておりました。
まず第一弾として中氷川神社についてです。

鳥居
中氷川神社は西武鉄道狭山線下山口駅から徒歩20分ほどにあり、延喜式神名帳に「武蔵国入間郡中氷川神社」に比定されているお社です。
論社として同じ所沢市三ヶ島にも同名の神社がありますが、それは次回綴ってみたく思います。

社号標
中氷川神社の社名は御由緒のとおり、さいたま市大宮区鎮座の武蔵國一之宮氷川神社と、西多摩郡氷川(現在の奥多摩町)鎮座の奥氷川神社「上氷川・奥氷川」との中間に鎮座するため、中氷川神社と呼称されるようになったと謂われるお社です。

参道
鳥居をくぐった先に、社殿に向かう一本の参道を上っていきます。
境内は鎮守の杜に囲まれて、とても瑞々しい空気が漂っています。

御祭神は大宮氷川神社と同様に素戔嗚命・稲田姫命・大己貴命を祀っており、崇神天皇の御代の創建とのことです。

拝殿
さて、本神社は太平洋戦争後の昭和二十年(1945年)に、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局初代局長のケン・R・ダイク准将が本神社の例大祭を視察しに来ました。

当時GHQでは戦争の原因の一端として「国家神道」による天皇への集団的団結力という考えがあり、神社は全体主義的施設とみなされていました。
なかには、「日本全国の神社を破壊すべき」という意見もあったほどで、ついにGHQより『神道指令』を発令することとなりました。

ケン・ダイク准将は『神道指令』を発令する前に「どこか民間の神社を見たい」と申し出て、選ばれたのがここ中氷川神社でした。
そこで、物資難の戦後の状況下、3日間で急遽新嘗祭の準備に取り掛かり、昭和20年11月25日無事祭礼が終了しました。

昭和二年造営 大社造りの本殿
この祭礼の三週間後の12月15日、GHQより『神道指令』が日本政府に発令され、政教分離の徹底と神社の宗教法人化は命令されたものの、神社の取り壊しまでは免れました。

きっと本神社の祭礼の視察(GHQが視察したのは本神社と靖国神社のみ)を見て『神社にはファシズムやナチといった全体主義的な施設ではない』と判断されたからなのでは?と云われています。
ちなみにこの『神道指令』の名残りとして全国の神社の社号標には「縣社」や「郷社」などの文字が消されています。

もし、本神社の祭礼がGHQで問題にされていたら・・・本当に現在の神社は取り壊されていたかもしれません。そういった意味で、ここ下山口の中氷川神社は、神道史に残すべき極めて重要な神社なのです。

扁額
中氷川神社 
御祭神
素戔嗚命 稲田姫命 大己貴命
七社大神(山口貯水池の湖底に埋もれた旧勝楽寺鎮座の七社神社:大山咋命・建御名方命・奥津姫命・大物主命・素戔嗚命・下照姫命・牛御子神)
神社名
「足立郡大宮(現在のさいたま市)」の武蔵國一の宮氷川神社と、西多摩郡氷川(現在の奥多摩町)の氷川神社「上氷川・奥氷川」との中間に鎮座するため、中氷川神社と呼称されるようになった。

由緒
当社は崇神天皇の朝に創祀され、武蔵國造(長官)の崇敬厚く、平安時代に朝廷が編纂した延喜式(国の法律書)神名帳に記載された、祈年国幣社(当時の官社)であった。
中古は、入間・多摩二郡にまたがる九十二村の総鎮守として、また山口城主にも尊崇され、徳川幕府より社領四石三斗を賜りました。明治維新後は、埼玉県の県社の社格を賜りました。
敗戦直後の昭和二十年十一月二十五日連合国軍総司令部(GHQ)は、全国の神社の中より、宮内省雅楽部多忠朝氏の琴を始めとする誤認の部員が奏で、氏子の少女四人が浦安舞を舞う、当社の臨時例大祭を視察したことは、当時の日本政府に於いて固唾を飲む重大事でした。

左:石上社と愛宕権現の石碑 右:八坂社・秋葉社・市杵島姫社・諏訪社

社殿
後鳥羽上皇の御宇に山口領主山口家継が社殿造営、吉野朝の御宇に山口領主高治が社殿大営繕。正平年中に兵火にかかるも、山口井高忠による山口城の再興と共に当社御造営。元禄二年本殿御造営、天保十年本殿上屋御造営、昭和六年から十三年にかけて本殿、幣殿、拝殿、神饌所、回廊等造営及び境内整備。平成九年から十一年にかけて幣殿、拝殿、神楽殿、社務所及び境内改修。
御本殿は出雲大社造(心の御柱二十五尺)、古御本殿は元禄二年造立の春日造鱗葺社殿

金毘羅神社と石祠や石碑

合祀
陣屋・大西の稲荷社、谷戸・新田・荒久の氷川社。椿峰の八坂社・山王峰の日枝社・弁天前の市杵島姫社・大塚の浅間社を合祀。
昭和四年十月六日に山口貯水池に埋もれた旧勝楽寺(朝鮮半島より日本に渡来した百済人・高麗人の居住した地と伝えられている)に鎮座していた七社神社(七社権現=七社大明神)を合祀

和魂宮
御宝物
有栖川宮一品幟仁親王御筆扁額(明治十一年十二月)
秀吉禁制書及光忠作宝剣(天正十八年四月)
一木造蔵王権現立造(所沢市指定有形文化財)
土器・石器・板碑・棟札・古鏡・古文書等
山口貯水池湖底の往古の写真
(以上、神社御由緒書きより抜粋)

御神木
境内の御神木はまっすぐに伸びていて、とても活気に満ち溢れています。

社殿より境内を望む
日本全国の存亡に強く関わった本神社は、周囲の宅地開発の荒波にも負けず、広々とした境内を保っています。
とても心地よく参拝することが出来ました。

御朱印


道端の供養塔
さてさて、所沢~入間周辺は多くの古刹があり、街道沿いにも多くの石碑が建ってます。
写真で撮った「秩父」「西国」「坂東」と彫られた三尊の供養塔。
(台座には「四国」とも彫られていました)
どこか歴史を感じますね。

下山口から徒歩30分ほどかけてようやくバス停に到着・・・。
近くに以前参拝した式内社「北野天神社」が鎮座していますが、時間の都合上立ち寄れずに、三ヶ島の中氷川神社に移動することにしました。