23 June 2018

武蔵の式内社 中氷川神社(所沢市三ヶ島)「長宮明神」

中氷川神社(所沢市三ヶ島)
(埼玉県所沢市三ヶ島5丁目1691-1鎮座)

社頭
続いては所沢市三ヶ島に鎮座する中氷川神社へ。
西武池袋線小手指駅から走るバスで「堀之内」というバス停で下車し、すぐの場所に鎮座しています。
周辺には早稲田大学のキャンパスやテニスコートがあり、若者で賑わっています。

参道
参道は細長く北東から南西にかけて伸びていることから、かつては「長宮」と称されていたらしいです。参道脇にある木々が古社の雰囲気を醸し出しております。

そして境内へ。
子ども達がおじいちゃんと遊んでいる長閑な雰囲気。
周囲も木々に囲まれて心地よいです。

拝殿
本神社の創始は、所沢市下山口の中氷川神社と同じく崇神天皇の御時に大宮氷川神社より勧進されて、素戔嗚尊と奇稲田姫命の二柱を祀ったことが始まり。
その後、景行天皇の御時に日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったとのことです。

当社は下山口鎮座の中氷川神社と同様に、延喜式神名帳の武蔵国入間郡「中氷川神社」の論社とされています。

下山口の中氷川神社の方が有力と思われますが、『神社覈録』によると、
「・・・三箇島村に在す、同上今長宮大明神と称す」
という記載もあります。

延喜式内 中氷川神社由緒 
鎮座地 所沢市三ヶ島五丁目1691番地の1
祭神
素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命・少彦名命
素戔嗚尊(八坂神社)、手摩乳命 脚摩乳命(荒經神社)、大山衹命(山王社)、天照大御神(神明社)、倉稲魂命(稲荷社)

歴史
当社は崇神天皇の御時、神託によって勧請された社であり、素戔嗚尊と奇稲田姫命の二柱を祀る。其の後、景行天皇の御時、日本武尊が東征に際してこの地を通り掛かった時に霊異を感じ、天下泰平、国乱鎮護の為、大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったと伝えられる。『延喜式』神名帳に記載される「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と伝える古社である。 
『神衹志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされており、文化十年に地頭の沢次郎右衛門が神職の宮野出雲に宛てた文書の中にも「中氷川神社長宮明神の儀は東照宮様より御朱印被下置、殊に延喜式内の社格、且神主先祖大阪御陣供奉仕候」と記されている。

左:八坂神社、神明社、稲荷社 右:山王社

狭山丘陵の北麓に位置する三ヶ島は、古くから畑作を中心とした農業地域として発展してきた。三ヶ島の地名は、開村当時は家族がまだ少なく、村内に三ヶ所の小さい集落があるだけであったため、遠方から見ると、あたかも原野の中に三つの小島が浮かんでいるようであったことに由来すると伝えられている。 
境内が、北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところからかつて当社は長宮とも称されていた。当社の所蔵する数々の裁許状や、社領安堵状などを見ると「長宮明神」もしくは「長宮中氷川神社」などと記されたものが多い。永禄九年の北条氏照制札には、「中宮」とも記されている。 
当社については、足立郡大宮(現さいたま市)にある武蔵一の宮の氷川神社と、西多摩郡氷川村(現東京都西多摩郡奥多摩町)にある奥氷川神社とともに『武蔵三氷川』と言われている。この三社は、ほぼ一直線に並んでおり、水や龍神と深いつながりの「大宮氷川神社」との関係も興味深い。

左:かつての御神木 右:神社裏参道前にあった庚申塔

神宝として、銅鏡四面・曲玉二個・剣一口・ト部芳良の筆による社号額・天正五年銘の本地仏の阿弥陀三尊を打ち出した懸仏など多数ある。この懸仏は直径40.5センチメートル、高さ30.4センチメートルあり、円形の銅板表面には、中央に聖観音、右に阿弥陀、左に釈迦の三尊を鋳出し三尊はそれぞれ蓮台にのり、円形光背をつけている。また上部には釣り下げるための釣手耳があり、背面は表面の突出によって凹んでいる。古くより中氷川神社に伝えられた神仏習合信仰の遺品であり、表面には「武州入東郡宮寺郷三ヶ嶋村。天正五年九月吉日、林泉坊、願主新左衛門」等の銘文がある。埼玉県下でも数少ない貴重な文化財である。 
これらを納める一間造りの本殿もまた、側面や扉をはじめ、柱や梁などに至るまで、龍や獅子などの細かな彫刻が施されており、江戸時代の建築美を今に伝える貴重な文化財となっている。さらに、拝殿向背には虎の彫刻、光背柱には獅子と龍、水を吐いている龍、花の彫刻等も多数ある。このほか、当社の造営や修復を伝えるものとして、正長元年、天文二十三年、寛延二年の棟札や、数多くの近世文書がある。

神楽殿
社家として代々当社の祭祀を司っているのは、三ヶ島家と中家である。三ヶ島家は、維新前は宮野姓であり、『風土記稿』に、「神職宮野出雲」としてその名が見える。中家は古尾谷代塗酢中筑後守資信を遠祖とする。文治二年源廉氏より六代氏重まで神職であったが、応長元年七代良円より本山派修験玉蔵坊(後に竜蔵院と改める)となる。復職して姓を中と名乗り再び神職となり、現在に至る。
(以上、境内案内板より)

社殿から境内を望む
氷川信仰については、出雲族出身の无邪志国造(むさしのくにみやつこ)が開拓した地域で、出雲国の簸川(ひかわ、現:斐伊川)に由来するとされています。
そして現在の東京~埼玉南部の荒川流域中心に多くの氷川社が鎮座しております。
というものの、肝心の大宮氷川神社は見沼を祀る水神だったともいわれ、ここに伝承話と氏族によって作られた記紀神話との矛盾を感じます。

もっとも主祭神の素戔嗚尊も記紀にて天津神としての荒ぶる神スサノオと、国津神の出雲や根の国を護る温和で情深いスサノオが混在している訳なのですが・・・。

堀の内バス停
さて、堀の内バス停から次は出雲祝神社が鎮座する入間市宮寺へ。
時刻表を見ると、なんと八高線の最寄り駅まで行けるバスも発見!
しかし、そのバスはこれから乗るバスの50分後に到着する予定で、しかも待っているバスは何と20分近く遅れています・・・。
果たして間に合うのでしょうか??