3 June 2018

武蔵の社 赤羽八幡神社 江戸の要衝に坐す「∞(エイト)」の社

赤羽八幡神社
(東京都北区赤羽台4-1-6鎮座)

社号標と裏参道
赤羽八幡神社は赤羽駅西口から北へ徒歩10分程先の高台にある神社です。

赤羽はかつての「陸軍の町」。
神社に向かう途中の坂は「工兵坂」とも「師団坂」とも呼ばれており、周囲一帯は日本旧陸軍の第一・近衛両工兵隊の兵舎や火薬庫が設けられていました。
ちなみに、林家ペー・パー子さんも赤羽に住んでいますね。
わたしは京浜東北線でペー・パー子さんの隣の座席に座ったことがあります(実話)。

表参道
話を戻して・・・
新幹線・埼京線のガード下をくぐった先に表参道があります。
創建は平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷平定の東征の際、この高台に陣を張って武神である八幡三神を勧請して祀ったことが由来とされています。

天保十一年製作の「八幡宮」道標
さて「江戸」の範囲について、わたしはてっきり赤羽も江戸に含まれると思っていましたが、実際は異なるようです。
当時の江戸幕府は文政元年(1818)に「江戸朱引図」を作成し、北は王子・上板橋周辺、南は大井町付近、東は堀切・亀有・大島、そして西は中野・目黒不動・山手通り周辺内を「江戸」を規定したらしいです。

鳥居の先からぐるっと高台を回りこんだ先には境内に通じる階段があります。
脇にはかつての神主さんの家か分かりませんが、廃墟のような家屋がありました。

階段を登り切った先には社殿が坐しております。
八幡社だけあって、とても凛々しい佇まいをしているようにみえます。

社殿
八幡神社 
赤羽八幡神社と俗称され、祭神は品陀和氣命(応神天皇)、帯中津日子命(仲哀天皇。『日本書紀』によれば、応神天皇の父)、息長帯比賣命(神功皇后。『日本書紀』によれば、仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)です。江戸時代、この神社は岩淵郷五カ村(赤羽根村・下村・袋村・稲付村・岩淵宿)の総鎮守であり(『新篇武蔵風土記稿』)、現在もその地域の総鎮守となっています。 
創建年代等は不詳ですが、伝説によれば、延暦年中(782~806、平安時代)坂上田村麻呂が東征の途次このあたりに陣を敷いてこの三神を勧請したのにはじまり、長徳年中(995~999、平安時代)源頼光が社殿を再興し、久寿年間(1154~56、平安時代)源頼政が修造を加え、応永・正長(室町時代)の頃、地頭であった太田資清(太田道灌の父)が社領として一貫文の地を寄進し、文明元年(1469)太田道灌が社殿を再建したといいます。(『岩淵町郷土誌』) 

拝殿内

ここには太田伸六郎康資の、天文二十年(1551)の寄進状が伝えられており、この神社は、室町時代末期以前からあったことは確実です。
また、『新篇武蔵風土記稿』に、「赤羽根村・・・今ハ東叡山乃傅通院村内寶幢院八万社領入曾ノ村ナリ」とされており、慶安二年(1649、江戸時代)に七石余の朱印が付されていることから(『岩淵町郷土誌』)、江戸時代、この神社は、年貢・課役の免除を保証された領地を赤羽根村内に七石余有していたことも確実といえましょう。 
現在の本殿は昭和六年改築されたものです。その向かって右側に神楽殿がありますが、これは絵馬堂を兼ね、絵馬が三枚収められています。

境内に茂るスダジイの木
この神社が奉られている台地は、武蔵野台地の東北端にあたり、東は荒川沿岸の沖積地に、西は八幡ノ谷に面しています。そして、この境内からは縄文式土器・土師器が発見されており、縄文時代中期・弥生時代後期・歴史時代の遺跡とされ、八幡神社遺跡と呼ばれていますが、学術調査はまだ行われていないようであり、詳細は不明です。 
この神社より星美学園跡地(旧陸軍第一師団工兵第一大隊兵舎跡)、国立王子病院敷地(旧陸軍近衛工兵大隊兵舎跡)およびその周辺にかけての台上一帯(旧陸軍兵器赤羽火薬庫、作業所跡)は、八幡原と呼ばれ、坂上田村麻呂が神を敷いたところという伝説があります。 

社殿右手に鎮座する赤羽招魂社
明治五年、稲村に旧陸軍の火薬庫が設けられ、同二十年、第一・近衛両工兵隊の移転があって以来、赤羽の台地には旧陸軍関係の施設・拡張等があいつぎ、赤羽は「陸軍の町」となっていきました。 
この神社の境内にある工一記念碑や赤羽招魂社などは、その当時の名残です。また、ここから星美学園に至る坂は、工兵坂とも師団坂とも呼ばれています。
昭和五十四年三月 北区教育委員会
(以上、境内案内板より)

境内末社
社殿左手には境内末社や庚申塔などが坐しております。
また、ひっそりと「なで牛の像」なども置かれていました。
大国主神社・稲荷神社・住吉神社・大山神社・阿夫利神社・御嶽神社・天祖神社・春日神社が祀られています。

古峯神社
古峯神社については以下のお話があります。
明治三十六年六月、汽車から出た火の粉が民家の藁葺屋根に乗り移った後、瞬く間に炎が広がり、赤羽中を焼き尽くす「赤羽の大火」が起こりました。
それがきっかけで、栃木県の火防せの神である古峰神社にお参りする「古峰神社講」が始まり、この講は現在も『古峰神社赤羽代参講』として続いているらしいです。

猿田彦庚申塔
古峯神社脇にはかつて赤羽台団地内にあった猿田彦庚申塔が、近年の団地建替えに伴い本神社に移設安置されております。
これらの庚申塔は、かつての旧板橋街道近辺に庚申信仰の本尊として青面金剛が彫られた庚申塔のほか、道祖神として猿田彦命が彫られた庚申塔が江戸時代から設置されていました。

庚申塔
しかし、明治時代に陸軍被覆本廠の設置に伴い本廠内に集約され、戦後進駐軍の接収を経て赤羽台団地となり、「赤羽台猿田彦神社」として祀られていたが、近年の団地建替えと共に本神社に遷座されたとのことです。

境内
・・・と、赤羽地区の歴史と共に歩んできた赤羽八幡神社ですが、今は幡社だからなのか「関ジャニ∞(エイト)の聖地」となっており、「∞」模様の絵馬やお守りなどを求めて、ファンが遠方から訪れるそうです。
因みに当方参拝時にも、アタッシュケースを持った女性ファンの方などがチラホラ「巡礼」されていました。

境内から王子方面を望む
さらに、新幹線の線路が本神社の下を通り、多くの在来線も通過することから、鉄道ファンからも人気が高いらしいです。

往古より軍事上の要衝の地として崇められ、江戸や荒川以北も見渡せる高台に坐する赤羽八幡神社は、現在も多方面から信仰を集めているようです!

御朱印