5 July 2018

武蔵の式内社 髙城神社 「日本一暑い」熊谷鎮守の社

髙城神社
(埼玉県熊谷市宮町二丁目93鎮座)

一の鳥居
真夏になると、最高気温などで必ずニュースに出てくる町、熊谷。
そんな熊谷の中心地に鎮座するお社・高城神社についてです。

社頭
高城神社は延喜式神名帳にて『武蔵国大里郡 高城神社』と記載されている式内社で、JR熊谷駅から徒歩10分程にある熊谷市の中心に鎮座しています。

御祭神は「高木神」としても知られる高皇産霊尊です。

本神社の創始は社伝によると奈良時代ともいわれていますが不詳。
元々は社地内の北『御蔵屋敷』というところに鎮座していましたが、天正十八年(1580年)に、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際、忍城(現・行田市)も攻められ、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失しました。

江戸時代の面影残る手水舎
その後、寛文十一年(1671年)に忍城主、阿部豊後守忠秋が今の地に再建し、本殿・拝殿は昭和二十年八月十四日の熊谷大空襲などの戦火を乗り越えて当時の面影そのままに残されているとのことです。
(本殿・拝殿・手水舎以外の建物は熊谷大空襲によって焼失したとのこと)

常夜灯
鳥居脇にひときわ存在があるのがこの常夜灯。
丁寧に磨かれ、今でも大切にされているようです。
常夜灯
この燈籠は高さ275㎝の青銅製の大きなもので、天保十年(1841)に建てらました。
台座には、県内だけでなく、江戸・川崎・気流・高崎・京都など広範囲に及ぶ150名もの紺屋(藍染業者)の名前が奉納者として刻まれています。このうち熊谷の奉納者は約40名に及んでいます。
当地では、江戸時代中頃から藍染業が活況を呈していたことが知られており。明治時代後半は紺屋の最盛期であったといわれています。
常夜灯は高城神社が藍染業者から厚い信仰を受けてきた事実を語る資料として、また、藍染業の盛況を知る記念碑ともいえる貴重なものです。
熊谷市教育委員会
(以上、境内案内板より)

拝殿
そして拝殿へ。
とても心鎮まる落ち着いた雰囲気です。
高城神社略記
御祭神 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
鎮座地 埼玉県熊谷市宮町二丁目
御由緒
平安時代延喜五年(905年)約1070余年前、宮中において延喜式、式内社に指定された、大変古い神社です。
現在の社殿は、寛文十一年(1671年)に忍城主、阿部豊後守忠秋公が厚く崇敬され遷宮された建物です。
「えんむすび」「安産」の神であり「家内円満」「営業繁栄」に導く神として崇敬されている。
宝物
熊谷城地図、青銅常夜灯、蹴鞠、絵馬、古文書等
宮司
(境内案内板より抜粋)

扁額
熊谷総鎮守 髙城神社
埼玉県熊谷市宮町二丁目九三番地(JR熊谷駅から徒歩十分)
四季折々、多くの熊谷住民に親しまれている髙城神社は、創始奉斎は奈良時代以前と伝えられています。『延喜式神名帳』に「大里郡一座髙城神社」と記載されていることから、このことがうかがわれます。
天正十八年(1590)豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際、忍城(現・行田市)も攻められ、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失しました。
その後、寛文十一年(1671)に再建しましたが、忍城主、阿部豊後守忠秋が「髙城神社は式内社」であることから社殿再興を計ったのがきっかけでした。
この時、再建された本殿・拝殿は今もなお当時の面影を残されています。
(本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和二十年八月十四日の熊谷大空襲によって焼失)
祭神は『高皇産霊尊』で、「縁結び」「家庭円満」「商売繁盛」の神として崇敬されています。

社殿と境内
神事として、毎年六月三十日に「胎内くぐり」が行われます。。国道17号線に面した一の鳥居に直径4メートルの大きな茅の輪を設置し、その茅の輪をくぐって災厄を取り除くというものです。
また、毎年十二月八日は「酉の市」が境内で行われます。熊谷酉の市発祥の地として髙城神社は熊谷住民だけでなく多くの人たちが熊手や飾り物を求め、足を運びます。
境内には樹齢六百年以上のケヤキが数本あり、御神木のケヤキにいたっては樹齢が八百年以上と言われています。
境内の末社には、熊谷の地名を産んだ「熊野社」、六柱の神をまつる「六社」、新生児のお食い初めの時に歯ぐきに当てると丈夫な歯が生えると言われている赤石が敷き詰められている少彦名神(医学の神様・歯の神様)をまつる「天神社」がある。
(以上、神社配布案内より抜粋)

拝殿から境内を眺める。
柱にも模様が彫られていて、とても精巧な造りをしています。
終戦前日に攻撃された「悲劇の熊谷大空襲」から護られて本当に良かったです。

御神木のケヤキ
境内には多くの古木があり、御神木のケヤキにいたっては樹齢が八百年以上と言われています。

左:六社 右:熊野神社脇にある石祠

さらに六社の神(伊奈利大神、鹿島・香取大神、大国主大神、八幡大神、琴平大神、白山大神)を祀る「六社」。そして、熊野神社脇にある石祠は星川地区の近くからか『星宮社』ではないかといわれています。

末社 天神社
こちらは、新生児のお食い初めの時に歯ぐきに当てると丈夫な歯が生えると言われている赤石が敷き詰められている少彦名神(医学の神様・歯の神様)をまつる「天神社」が坐しております。

末社 天神社
御祭神 少名彦名大神
玉垣内の赤石は御神徳の宿った御石として、往古よりこれを拝借し「丈夫な歯がはえますように」との願いをこめてお食初めの儀式を行い、赤石は二個(倍にして)返納する風習が受け継がれています。
(境内案内板より)

末社 熊野神社
そして、その脇には熊谷の地名を産んだ「熊野社」も鎮座しています。

熊野神社の由緒
永治年間、此の付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かして悩ました。熊谷次郎真実の父直貞この猛熊を退治して、熊野権現堂(現在箱田に熊野堂の正堂あり)を築いたと伝えられる。
明治維新の後、熊野神社と称し、その御祭神伊邪那岐命を祭り、明治四十年一月十四日に当高城神社境内地に遷し祭られた。
また、同年四月二十日に熊野神社地六十二坪(現熊野堂敷地)を高城神社に譲与された。
この熊野神社(熊野権現)と千形神社(血形神社)、そして圓照寺の関係は深く、直貞によって築かれ、熊谷の地名を産んだとの伝えられる。
(境内案内板より)

境内
日本一「暑い」都市・熊谷において、一服の清涼感を与えてくれる本神社は、この地の歴史とともに歩んでいるお社だな、と感じました。
但し、御朱印は「仏滅」の日には頂けないのでご注意を。

御朱印

次回も熊谷市の式内社についてです♪