2019年4月20日

近江の社 日吉大社 奥宮 八王子山頂に坐す金大巌

日吉大社
(滋賀県大津市坂本5-1-1鎮座)
御祭神:大山咋神(東本宮)・大己貴神(西本宮)
延喜式神名帳 「近江國滋賀郡 日吉神社 名神大」
二十二社(下八社)、旧官幣大社

東本宮楼門
日吉大社の創建は神代に遡るとされ、比叡山に坐す金大巌という磐座を「山の神さま」として崇められ、その後崇神天皇七年(紀元前90年頃)八王子山(牛尾山)の麓に遷座して里宮を建立し創祀したといわれています。

「山の神さま」で聖なる磐座である金大巌は今でも八王子山の頂上付近にあり、牛尾宮と三宮の社殿が鎮座しています。

三宮・牛尾宮遥拝所
西本宮と東本宮を繋ぐ参道脇に石段があり、奥宮へ参拝することができます。
石段両脇に鎮座するのは三宮と牛尾宮の遥拝所です。

石段
案内板などによると往復約1時間とのことなので、いざ奥宮へ参ります!
ちなみに、石段両脇の建物は奥宮二社の神輿庫だと思われます。

猿の馬場
急な石段を登ると『猿の馬場』と呼ばれる山道が続きます。
山道といっても整備された山道なのでスニーカーで登っても全く問題ありません。
参道の道幅が広いのは、毎年四月に開催山王祭で山頂の牛尾宮・三宮からニ基の神輿を担ぎ下ろす「午の神事」が行われるためといいます。

「午の神事」とは3月上旬に奥宮に上げられた神輿に神様がお遷りになり、山麓の東本宮へお渡り頂く神事のこと。
境内はうだるような暑さだったので、むしろ木々に囲まれたこの参道を登っていた方が身体も涼めてよかったのかな、と今になって思います。

坂本と琵琶湖
九十九折の登り坂が続きますが、時折木々の間から坂本、そして琵琶湖が一望できます。
疲れも吹き飛ぶ絶景です!

さらに登っていくと、いつしか山道が再び石段になりました。
石段には初老の御婦人が腰かけて絵を描いていました。
(ちなみに、遠目から見たらお猿さんが座っているのかと錯覚してました・・・失礼)

根回りが太い印象的だった枯木
日吉神社
日吉神社は近江國滋賀郡坂本村に在り、世に山王と称す。
其の大宮は大比叡と称し、大和国大三輪明神を祀り、二宮は小比叡と称し、大山咋神を祀る。
大山咋命は、初め比叡山の横川に鎮座せしが、延暦年中、僧最澄が延暦寺を建てるに及び、大三輪神を山上に祀り、是を寺の鎮守と爲し、而して大山咋神の社を山下に移せりと云う。抑々大山咋神は、元来此山に鎮座せるを以て、是を地主神と云う。
此社は、延喜の制、名神大社に列し、後朱雀天皇の長久五年、二十二社に加えらる。又後三条天皇の延久三年に行幸ありしより以来、御幸行啓も屢々(しばしば)ありて、摂関大臣、及び将軍等の参詣せし例も亦少なからず。現今官幣大社たり。
(中略)
此社には、末社最も多し。聖眞子、八王子、客人、十禪師、三宮の五社を大宮二宮に加えて、日吉上七社と云い、大行事、牛御子、新行事、下八王子、早尾、王子、聖女を中七社と云い、小禪師、大宮竃殿、二宮竃殿、山末、巌瀧、氣比、劔宮を下七社と云い、之を総称して、日吉山王の二十一社と云う。
(古事類苑より)

左:三宮 右:牛尾宮
最後の石段を登って奥宮に到着!
片道約25分程度で登る事ができました。
牛尾宮は文禄四年(1595)、三宮は慶長四年(1599)に建立された社殿。
清水寺や山寺を彷彿させるような足組の造りは重厚感があり、剛健とした造りです。

牛尾宮は八王子と称していた日吉山王七社の第四社。
現在は大山咋神荒魂が祭神とされていますが、日吉山王新記によると、神代七代の国狭槌尊、もしくは面足尊ではないかとされております。
また、八王子の由来からアマテラスとスサノオの誓約の時に生まれた八柱神のうちの男神という説もあります。
扶桑明月集によると、十代崇神天皇即位元年に小比叡東山の金大巌の傍らに降ってきたのが降臨の由来と記載されています。

対する三宮は上七社の第七社。
現在は鴨玉依姫神荒魂が御祭神とされていますが、日吉山王新記によると、惶根尊もしくは田心姫、湍津姫、市杵島姫、以上三女神ではないかとされています。

牛尾宮(八王子)
牛尾宮
旧称:八王子・上七社摂社
御祭神 大山咋神荒魂(一説に国狭槌尊、もしくは面足尊)
本地仏 千手観音
日吉山王新記 八王子 上七社第四
神體 扶桑明月集云、八王子、俗形天神大日國狭槌尊、私是一説也。今検此義、日吉社参次第記云、國常立、盧無末顯露 耳、従 國狭槌 至 面足 迄、有八柱神、此八総雖 爲 八王子、先従 初、故約 國狭槌、若従 終則可 取 面足矣、是定 國狭槌之所謂也。但従 國狭槌 敷 之、則第八者正當惶、面足尊者、垂 第七神體、然而八之中、終別取 男神、故然而巳。
神祗宣令云、言 八王子 者、天照大神所 生之五男三女等、八王子也矣、私是一説也。日吉社参次第記、和會之時、彼約 天神、此約 地祗云々。抑八王子天神兼 地祗、雖(いえども)無 妨碍、本天神、故云 國狭槌、以之爲 正。
降臨垂迹時代 扶桑明月集云、人皇第十代崇神天皇即位元年甲申、近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降矣。
神號 神祗宣令云、承安二年五月二日従二位、嘉永二年十月九日正二位、安貞三年十月二十日従一位、建長二年二月九日正一位
社頭建立井間敷 日吉社神道秘密記云、八王子、宇志丸作。日吉山王記云、葺檜皮三間、拝殿三間。

牛尾宮と三宮
三宮
旧称:三宮・上七社摂社
御祭神 鴨玉依姫命荒魂(一説に惶根尊もしくは田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命)
本地仏 弥勒菩薩
日吉山王新記 三宮 上七社第七
神體 日吉社神道秘密記云、天神第六惶根尊。私沙土煮尊、大苫邊尊、惶根尊、以上三女雖 爲神體、且従 終、故云惶根尊、是一説也。
神祗宣令云、日吉三宮者、天照大神所 生、八王子中三女也。剪除天下之児渠、衛護天璽、望 祐天降、私田心姫、湍津姫、市杵島姫、以上三女、以爲 神體、是一説也。上来両説、准 八王子神體 以可 知之。
降臨垂迹時代 神祗宣令云、三神奉斎 同殿、故曰 三宮。
社頭建立井間敷 扶桑明月集云、延暦六年、従 空乗 紫雲 女人形、八王子金大巌天降、手持 法華経、大師奉 見 之、崇 三宮権現。

金大巌
奥宮の背後には比叡神である大山咋神の御神体~金大巌が坐しています。
大きさにしておおよそ約10メートル、表面は鏡のように平らになっていて、日吉神社の根源となる磐座に相応しい佇まいをしています。

金大巌
日吉大社の鎮座地である八王子山山麓には6世紀中頃~後半にかけて建立された日吉古墳群があり、いまでも「猿塚」と呼ばれていて、琵琶湖の畔に鎮座する摂社・唐崎神社まで通じているという伝説があります。
ということは、八王子山は麓、そして湖畔の「ムラ」から山頂を拝むことができる筈なので、この磐座は東から登った太陽に反射して光輝いてみえたことでしょう。

ちなみに、行丸書記という古文書によると、元亀二年(1571)九月十二日の織田信長による比叡山焼き討ちによって八王子山にも戦火が及び、『八王子社壇は焼きて、大巌白く光りておそろしき哉』という記述もあります。

参道にあった磐座
奥宮に通じる参道には、石垣の上に巨大な磐座が坐しています。
この大岩は金大巌が二つに割れて滑落した片割れなのでしょうか?

金大巌から琵琶湖を臨む
八王子山の頂からは、日吉大社の境内や琵琶湖を一望できる絶景!
私が登ったときはガスっていて、三上山はうっすらとしか見えませんでしたが、とても素晴らしい眺望でした。


御朱印
今回は登拝記念ということで牛尾宮・三宮の御朱印を頂きました♪


日吉大社 西本宮に続く(Link)