24 April 2019

近江の社 唐崎神社 近江八景に坐す『大七瀬の祓所』の一つ

唐崎神社
(滋賀県大津市唐崎1-7-1鎮座)
御祭神 女別當命
日吉大社西本宮 境外摂社 

鳥居
唐崎は、韓崎、辛崎、可楽崎ともいい、大津京時代から名の残る崎。
近江八景のひとつ「唐崎の夜雨」は天下の名勝と謳われ、数多くの歌人が詠み、浮世絵などにも描かれてきました。
琵琶湖を代表する名勝の地に鎮座しているのが唐崎神社です。

拝殿
唐崎神社は日吉大社から南東約3キロ先の崎に鎮座するお社で、日吉大社西本宮の摂社とされております。
御祭神は日吉大社の社家(樹下家)の始祖で、常陸国鹿島から上洛した琴御館(ことのみたち)宇志丸宿禰の妻であった女別当神です。

拝殿から本殿を臨む
日吉記によると、舒明天皇の御代(629~641年)に常陸国鹿島から上洛した琴御館宇志丸宿禰は、江州志賀郡三津ノ浜に居住し、この地を唐崎と名付けたとあります。
その後、天智天皇七年(668年)に、琴御館宇志麿が大和朝廷の守護神であった大和国三輪山より大己貴神を勧請した際に、「大和国の大三輪より大津の湖岸に影向され、唐崎の地に降り立ったのち大宮川を遡り、比叡山(八王子山)の麓に鎮座した」とあり、西本宮起源の地とされております。

本殿
その際、妻である女別当姫が日吉大社の一本の松を湖畔に植えて、持統天皇の御代697年に姫の死後遺言によって松の木の下に神として祀って創建されたのが由来といいます。

祭礼については、日本紀略に桓武天皇延暦二十三年(804年)二月、類聚国史に嵯峨天皇、弘仁六年(816年)四月に『韓崎に行幸の事』の記載があり、日吉大社西本宮にかかわる信仰や祭礼の場とされ、崇められていました。
今でも7月28~29日にみたらし祭という祭事が開催され、近くにはお団子屋さんもあります。

境内
また本神社は、平安時代より「難波、簑島(農太)、河俣(以上摂津)、大島、橘小島(以上山城)、佐久那谷(近江)」と同様に天皇の厄災を祓い平安京を守護する『大七瀬の祓所』(洛外の七瀬とも云う「河海抄」「藻塩草」より)のひとつと称されていました。
ちなみに、近江の佐久那谷とは佐久奈度神社のことです。

「唐崎の霊松」の拝所
社殿の裏には大きく枝を伸ばした霊松が根を張っています。
現在の松は三代目といわれており、大正十年に枯死した二代目の松にかわって、その実生木を近くの駒繋ぎ場から移植したもので、樹齢は150年から200年と推定されています。
しかし、三代目の霊松も樹勢がなく、病気に罹ってしまったようで、2018年に霊松の後継樹を植栽したとのことです。
近年の環境異変のようでしょうか、再び大松に成長してくれることを祈っています。

滋賀県指定名勝 唐崎
唐崎は古くから景勝の地として数々の古歌などに取り上げられ、また日吉大社西本宮にかかわる信仰や祭礼の場としても知られてきました。加えて「近江八景」の一つ「唐崎の夜雨」の老松との景観は、天下の名勝としてしばしば安藤広重らの浮世絵などにも取り上げられてきました。
現在、境内の中程に位置する松は三代目の松で大正十年に枯死した二代目の松にかわって、その実生木を近くの駒繋ぎ場から移植したもので、樹齢は150年から200年と推定されています。また、二代目の松は、天正九年(1581)に大風で倒れた一代目にかわり、同十九年に新庄駿河守らが良木を求めて植え替えたもので、幹周囲九メートルに及び、枝を多数の支柱に支えられた天下の名木として知られていました。
今も境内の各所に残る枝を支えた石組みや支柱の礎石が往時の雄大さを忍ばせています。
現在の唐崎は、史上に見える景観ではないものの、湖上に突き出た岬上の地形と老松が織りなす景観は今なお優れており、その歴史的由緒と、「近江八景」を具体的に体現できる数少ない場の一つとして貴重といえます。
なお、当地は平安時代から大祓の場と考えられ大津市の史跡にも指定されています。
滋賀県教育委員会
(境内案内板より)

近江八景の石碑と唐崎
唐崎
韓崎、辛崎、可楽崎などの字をあてる場合もありますが、「万葉集」にもあらわれる大津京時代からの地名です。
古くは湖上交通の湊と考えられ、平安時代には、天皇の災厄をはらう「七瀬祓所」の一つとして重視されました。「枕草子」に湖畔の名勝として紹介され、室町時代の終わりに「近江八景」が選定されると、その一つ「唐崎の夜雨」の舞台となりました。
此の地に遺る松は、日吉大社西本宮の御鎮座とも深いかかわりがあり、唐崎の一本松と呼ばれ多くの人々に親しまれました。現在、唐崎神社の境内地内に大切に保存されています。
大津市教育委員会
(境内案内板より)

時代劇にも仕えそうな葦立つ湖岸
唐崎
古は韓崎の字を用い或いは可楽崎、辛崎等の字を充つ。下坂本村の南、湖中に突き出したる一角なり楽波静かに蘆葭の梢を洗ふ處、巨松一株縦横に盤屈して、蟠龍踞虎の状をなし、幹圍三十尺、東西枝幹の延長約百六十尺、南北約百五十尺に及ぶ。以て其巨大を知るへし。
唐崎の夜雨は、近江八景の一として人口に膾炙す。而も此地單(ひとえ)に松を以て名あるのみならす。史上又赫赫(かくかく)の名あり、誠に湖南の名跡と云ふべし。
松下、唐崎神社あり。
按するに、日吉記に曰く、社務の上祖琴御館字志丸宿禰、常陸國鹿島より上洛し、江州志賀郡三津ノ濱を以て居住の地となし。之を唐崎と號す。
一日神あり告を曰く、此地に鎮座すへし、宜しく勝地を求めよと、字志丸曰く、唐崎の湖上五色の波起こる、神、歌を咏して字志丸に傳ふ、曰く「大伴の三津の浦わをうちさらしよりくる波の行へしらすも」と終わて舟に乗り、松梢に上る、字志丸之を見て西北の山下に勝地ありと云へば、神忽ち去りて比叡辻の浦に至ると、此社を女別當ノ社と云ふ。
琴御館の妻にして舒明天皇の世之を祭ると云ふ。

境内から比叡山を臨む
又日本紀略に桓武天皇延暦二十三年二月、此地に御幸あり。四月又行幸あるを載せたり。又類聚国史に嵯峨天皇、弘仁六年四月を以て韓崎に行幸の事を記す。
此地又七瀬祓の一にして、難波、簑島、河後(以上摂津)大島、橘小島(以上山城)佐久那谷(近江)と共に其名高く、今に毎年六月二十六日より晦日まで祭事を行ひ男女の参詣踵を接す。之を御手洗と称す。
きのふまて御たらし川にせしみそき 志賀の浦波たちそかへたる 
続世継 上西門院
御祓するけふ唐崎にをろす網は かみのうけ引くしるしなりけり
拾遺 平 祐峯
さざ波の 志賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船まちかねつ
万葉集 柿本人麿
唐崎の 松は花より 朧として
松尾芭蕉
(近江史蹟より抜粋)

境内から琵琶湖、そして三上山を臨む
唐崎から近江富士こと三上山がくっきりと見えます。
三上山の山容を見て思い出すのは、大和の三輪山の神奈備。
この景色を見ると大三輪の神さまが山上から湖を渡って唐崎に降りてきたという伝承もあながち嘘ではないのかな、とふと思いました。

近くのお蕎麦屋さんのおそば
歴史深い景勝地であり、日吉大社西本宮起源の地でもあった唐崎をあとにして、近くのお蕎麦屋さんで食事をとりました。
疲れた身体には美味しいおそばに限ります!