2019年6月26日

武蔵の式内社 今城青坂稲実池上神社(神川町関口鎮座)

今城青坂稲実池上神社
(埼玉県児玉郡神川町関口38鎮座)
御祭神 淤迦美神・豊受毘賣命・罔象女神・埴安姫命
延喜式神名帳「武蔵國賀美郡 今城青坂稲実池上神社」

武蔵国賀美郡には機織業の祖神を祀る長幡部神社のほかに、稲作関連の神さまを祀る式内社が三社あります。
1.今城青八坂稲実神社
  (現:熊野神社・神川町八日市)
2.今木青坂稲実荒御魂神社
  (現:熊野神社・上里町堤)
3.今城青坂稲実池上神社(神川町関口)
  今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)
社名の「いまき」今城(今木)は、すなわち『新来』の意で、渡来系氏族が当地に高度な技術を導入し、「稲魂」を祀ったものといいます。
郡内の密集した地域に三社もの類似した式内社があるのは、畿内を除いてあまり例がないかと思います。

鳥居と社號標
今城青坂稲実池上神社は二社あり、一社がここ神川町関口池上鎮座、もう一社は上里町忍保に鎮座しています。
境内地は台地の端にあり、大字名は安保用水の『堰口』に当たることに由来しており、小字名は社名と同じ「池上」という名に鎮座しています。
境内地は台地の端にあり、西方の低地には水田が開かれていることから、往古は社地西側一帯は池もしくは湿地が広がっていたのでしょう。

拝殿
今城青坂稲実池上神社は神亀元年(724)二月に勧請されたとの記録がある古社。
旧安保村には本神社(六所神社)のほかに当時の領主・安保氏の祖神を祀るために大和国丹生川上神社丹生社から勧請した丹生社がありましたが、天正五年(1577)三月、関口村との分村の際に、丹生社を関口村の鎮守と定めてこの地に遷し祀ったといい、『新編武蔵風土記稿』には「丹生明神」として記載されております。

社殿
今城青坂稲実池上神社 御由緒
神川町関口38
御縁起(歴史)
関口は神流川右岸に位置している。地名は、安保領一三か村の用水(安保用水)の堰口に当たることに由来するという。
当社は、関口の小名の一つである池上に鎮座している。その境内地は台地の端にあり、西方の低地には水田が開かれている。
『延喜式』神名帳に見える賀美郡四座のうちの「今城青坂稲実池上神社」の比定社の一つとされ、『風土記稿』では「丹生明神社」とある。
その由緒は『明細帳』によると、創立年月は不詳であるが、当社は延喜式当国四十四座の一つである今城青坂稲実池上神社であると言い伝える。

境内社
往古は阿保村と一村であった時、六所社と丹生社が同村にあったが、天正五年(1577)三月の分村の際に丹生社を本村の鎮守と定め、今の地に遷し祀ったという。
当社の社號はもとの領主であった安保氏の祖先が大和国丹生川上神社をこの地に遷し祀ったので丹生社と称するという。
一方『郡村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(724)二月のことであるという。以下は『明細帳』と同様で、阿保村から分村の際に丹生社を遷し祀った旨が記されている。
別当は真言宗光徳寺で、丹生山延命院と号し、中興開山広重は寛文三年(1663)の没という。同寺は明治六年に廃寺となった。
大正十五年には、延喜式撰上一千年記念として社務所を新築した。
御祭神
淤迦美神・豊受毘賣命・罔象女神・埴安姫命
(境内案内板より)
御神木と手舎
賀美郡 安保領 關口村
丹生明神社 村ノ鎮守ナリ。光徳寺持。社地に東照宮ノ御宮あり。
末社 稲荷 疱瘡神
(新編武蔵風土記稿より)
今城青坂稻實池上神社
祭神伊吹戸主命(地名記)。七本木村に在す。
今城青坂稻實神社・今木青坂稻實荒御魂神社・今城青坂稻實池上神社の三社、太田氏式社阿細見録には、本長瀬村に合祭して榛名大明神と称すと云り、地名記も、村名はかはれども、同所鎮座の由は同じ。さて祭神の説は、記のままに載すといへども疑はし、猶考ふべし。
(神社覈録より)

道祖神と石仏
参道脇の畦道には道祖神と立派な野仏がひっそりを坐していました。

古墳?
その背後にはかつての古墳が残されているのか、小高い丘、その上に小さな石祠が祀られていました。

古代からの居住地と推測される本神社の雰囲気は他の今城青坂社(現:熊野社)と較べると心地よかったのですが、境内脇に倉庫が建ってしまうのか、更地になっていたのが少し気がかりに感じました。