2019年9月17日

越中国一ノ宮 雄山神社 峰本社(本宮立峅寺)と 立山登拝断念記

雄山神社 峰本社
(富山県中新川郡立山村芦峅寺立山峰一番地鎮座)

日本三霊山といえば、富士山、白山、そして立山。
雄山神社は立山山系の最高峰・雄山山頂に鎮座する式内社で、「立山大権現」として古くより高名な神仏習合の霊場です。

室堂
かつては立山山麓に坐す岩峅寺から常願寺川を遡って、急峻な峰々を越えて立山山頂へ目指していましたが、今は標高2400メートルの室堂迄バスで行くことができます。

現在、立山三山といえば雄山~大汝~富士折立の三つのピークを指しますが、かの有名な「立山曼荼羅」では雄山(現生)~浄土山(過去)~別山(未来)を総称して『立山』と称しています。
今回我々は立山曼荼羅に従い、稜線にある山小屋を予約して三山を目指すことにしました。

霧しか見えない参道
AM8:40
新宿出発の夜行バスに乗り、翌朝室堂バスターミナルへ到着しましたが、完全にホワイトアウト且つ肌寒くて雨が降るという最悪な状況・・・。
浄土山は早速諦め、まずは雄山神社(雄山)へ目指します。

祓堂
AM9:35 祓堂
登るにつれ冷たい雨が強くなり、風もかなり強くなってしまい、歩くのもやっとの状況・・・。

一の越山荘より山頂を遥拝・・・
AM10:00 一の越山荘
ようやく一の越山荘へ到着。何も見えません・・・(涙)
山荘内は暖をとる登山客で「すし詰め状態」でした。

好天する兆しは全くなく、むしろ悪化するばかり・・・山荘内でホットココアを飲んで引き返しました。
立山(雄山)の神に突き返された、とはこういうことなのでしょうか。

9月中旬の登拝だったので、次回は比較的気候が安定する8月に登ってみることにします。
必ず登拝したい山ですので、決して諦めません!

帰りのバスの中で撮った写真

富山縣越中国中新川郡立山村(立山峯)
縣社 雄山神社
祭神 天手力雄神、伊邪那岐命
本社は延喜式に雄山神社、式外神名考に立山権現とあるは即ち此れ也。盖し立山に在るが故に立山権現とは云ふなり。創建は崇神天皇の御宇に在りと云ひ、雄山神社の名亦古書に散見せれとも其確なること詳ならず。
三州志、及社記等を参酌して曰く「大寶元年、景行天皇後胤稲背入彦命苗裔佐伯有若越中守として下向、同年九月嫡男有頼卿謁説方原五智寺慈朝師、受戒、改名慈興、建立大権現大宮及王子眷属等社」とあり、又三才図會には之れを四條大納言なりと云ふ。又一本立山縁起に「佐伯若右衛門其子有恒立山大宮を建つ」と云ひ、又本朝通紀に、「大寶三年釋教典立山権現を越中に勧請す云々」と見ゆ。按するに立山明神は上古より高山の霊神として、祭祀せられたるは論なし。
又三千風行脚文集に、
「蘆倉庄立山、大寶元年慈興上人開基、日本第一大梁正一位立山権現、本地国常立尊、皇孫尊、思兼命、手力雄命等也云々」とあり、其他諸記多きも玆に略す。
さて當立山てふは山の名なりや、神名なりやに就いては、古来人々の研究せる所なり。按するに五十猛命伊達神と称する事もあり。日本紀五十猛神多将 樹種 大八洲國内莫 不播殖 而 青山焉等あり。
三代実録に、清和天皇の貞観五年九月甲寅正五位下雄山神に正五位上を授けらる。神祇志料に云く、「立山の北に剣山あり。萬葉集に須賣加未能宇之波伊麻須企比可波能、曾能多知夜麻と云るは、此山にして、須賣加未(スメカミ)と申せるは、即雄山神也。姑く附けて考に備ふ」と。
當社の社領は、式外神名考にも社領五十石云々とあり、又古昔より寄進せらるる社領頗る多し。即ち明応元年十月足利義植三百八十俵と三斗九百永代寄付し、天正十一年八月佐々木成政四百五十俵永代寄付、天正十六年前田祖先利家百俵と地十五萬歩山林三十六萬歩餘を寄付等ありしが、明治二年廃藩の節上地となる。
尚神社には其証書各通を保存せりと云ふ。又源頼朝社殿を造営せしめられし事もあり。(社伝)要するに當社は往昔より今に至る迄険峻なる山上の霊神として、殊い諸人の崇敬せる所たり。
明治六年縣社に列す。建物には山上の社殿一宇、境内7坪を有せり。山麓に雄山神社摂社大宮あり其社には祈願殿とて風雨を祈る社あり。
寶物は、後光明天皇御親翰、櫻町天皇小袖御冠、同桐御紋幕、正親町天皇大納言詩歌色紙、源、足利、徳川幣帛献上書、其他頼朝の造営書類を始め社領社地寄付の朱印等あり。又越中舊事記に有頼の刀、鬼牙一等なりと。
(明治神社誌料より)